名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第18回は、80年に発表された谷村新司の代表曲の1つ「昴(すばる)」です。スケール感あふれる歌詞とメロディーが印象的な曲です。谷村の中にある、少し変わったこだわりが曲の誕生につながりました。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

谷村新司が、ローマを旅し、名門ホテル「ハスラー」のバーに立ち寄った時のことだった。イタリア人の男性ピアニストが、弾き語りをしていた。低音が渋い巨漢のピアニストは、谷村の顔を確認すると、「メヲトジテ ナニモミエズ…」と歌いだした。イタリアなまりの日本語だったが、それは、まぎれもない「昴(すばる)」だった。

「びっくりしましたね。聞けば、僕と気付いて、ではなく、彼は東洋人が来ると必ず『昴』を歌うそうです。譜面にローマ字で歌詞が書いてありました」。

1980年(昭55)4月に発表した「昴」は、アジアの20カ国以上でカバーされている。「昴」とは、おうし座にある散開星団のことで、欧州では「東洋的な哲学を感じる曲」として高く評価されている。

「上を向いて歩こう」「北国の春」と並んで、日本を代表するこのメロディーは、実は引っ越しのさなかに誕生した。

79年夏、谷村は、東京・代々木上原から下北沢に引っ越した。吹き抜けの玄関に、回り階段のある一軒家だった。新しい自分の部屋に、家財道具を詰めた段ボールを運び終え、「さあ、これからだ」と思った瞬間、あるフレーズが浮かんだ。我は行く…。すぐにギターを取り出し、床に座り込み20分ほどで、曲を作った。

当時、大阪から上京して25年以上になった谷村は、それまで9回引っ越した。「同じ家にいると、インスピレーションがだんだんわかなくなる。曲を書く場所がなくなってくるんです」と言う。何と曲作りのため、引っ越しを繰り返したのだ。「昴」を作った下北沢の家は相性が良く、6年過ごした中で、「群青」「陽はまた昇る」など数々の名曲を生み出した。

「昴」を初めて海外で紹介したのは、81年に北京で行った日中共同コンサートだった。公演後、感動した5人の中国人歌手が谷村の楽屋を訪ねた。「あの歌を教えてくれませんか?」。谷村は、1フレーズずつ丁寧に歌い、メロディーを教えた。「それからですね。アジアに広がったのは」。

谷村にとって「昴」の存在は「昔の人が星を見て方角を確認したのと同じように、自分の方角を示してくれている。まさに『我は行く』なんです。アジアに音楽の橋をかけることが、自分の宿命だと教えてくれました」と言う。

谷村はロングリサイタル公演のタイトルに、イタリア語で「道」を意味する「LA STRADA」と名付けたことがある。「これからどんな道がつくれるでしょう」という谷村の人生は、まさに「昴」の歌詞そのものである。【特別取材班】

※この記事は97年12月9日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。