名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第24回は、中島みゆきの名曲「時代」です。デビュー当時、ステージで見せたパフォーマンスが批判されましたが、そこには胸に秘めていたある思いがありました。

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今では考えられないことだが、デビュー当時の中島みゆきには「生意気」「ツッパリ」といったイメージが先行していた。

北海道出身の中島が、全国区に躍り出たのは、1975年(昭50)11月に東京・日本武道館で行われた第6回世界歌謡祭だった。中島は「時代」でグランプリを獲得したが、そのステージで起きた“事件”が「生意気」イメージを生むことになる。

世界歌謡祭には、その年のポピュラーソングコンテスト(ポプコン)で優勝した新人歌手が自動的に出場した。中島もそうした新人の1人だった。グランプリ受賞後のアンコールで、中島はオーケストラの指揮者に何やら耳打ちした。そして突然、伴奏なしのギター1本で「時代」を歌い始めた。歌謡祭前半のエントリー曲紹介では、フルオーケストラをバックに「時代」を力強く歌っていた。しかし、アンコールでは一転してオーケストラの演奏を自ら制止し、ギター1本で歌ったのだ。

まさに前代未聞の新人だった。オーケストラのメンバーや現場スタッフは激怒した。新聞や雑誌にはバッシング記事が相次いだ。しかし、ギター1本で「時代」を歌ったのは決して中島のわがままではなかった。自らを発掘してくれた“恩人”へのお礼のつもりだったのだ。

その恩人とは、ヤマハ音楽振興会の理事長で、ヤマハのワンマン社長として当時知られていた川上源一さんだった。69年にポプコンを創設した川上さんは、毎年全国から寄せられた応募曲を全曲聴いた。中島が「時代」を応募した74年はポプコン人気のピークで、応募曲は軽く1万曲を超えた。川上さんはその中で「時代」を耳に留めた。無名だった中島を浜松の自宅に呼び、こう激励した。「あなたは、すごい詞を書く。将来、詞で勝負するようなアーティストに育ってほしい。できれば、大音量をバックにするよりも、ギター1本で歌ったほうが、あなたの詞が人々に伝わると思います」。

中島はその言葉を心に刻み、世界歌謡祭のラストでギター1本で切々と「時代」を歌い上げた。振興会で世界歌謡祭の担当者だった山口昌則さんは「当時、ポプコンの担当者たちはサウンドばかり注目していて、はっきり言って詞は盲点でした。中島さんの詞の可能性に注目したのは川上さんだけ。今でも頭が下がる思いです」と振り返る。

ポプコンは86年に終了し、川上さんも同族経営が批判を浴びヤマハを離れた。

そして時代は巡り、時は流れた。95年、中島が浜松でコンサートを行った時、川上さんが車いす姿で会場を訪れた。川上さんを見た中島は、世界歌謡祭でも見せなかった涙を、ステージ上でボロボロと流した。【特別取材班】

※この記事は97年12月10日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。