今年7月に還暦を迎えたフリーアナウンサーの寺田理恵子(60)が、9日に著書「『毎日音読』で人生を変える-活力が出る・若くなる・美しくなる」(さくら舎)を出版する。“元祖アイドルアナウンサー”から結婚、離婚、再婚、死別をへて、14年ぶりにアナウンサーとして復活する原動力となった音読のノウハウを明かしている。

★ストレスでボロボロに

再婚した夫と12年に死別したショックからなかなか立ち直れなかった寺田。TBSの朝の情報帯番組「ビッグモーニング」で90年からコンビを組んでいた、フリーアナウンサーの生島ヒロシ(70)から声をかけられたのは2年後だった。

「主人が亡くなった時に、ストレスで体調を崩してしまった。もうダメじゃないかっていうぐらいに、声は出ないし、椅子に座ってることができないくらい筋肉が衰えてしまったんです。そんな時に生島さんに出会って仕事復帰を勧められたんです。家に帰って、じゃあちょっと新聞を声に出して読もうとか、腹式呼吸をもう1回やろうと。体調を整えるためにヨガを習ったり。そうしていると、だんだんと体調が戻ってきて、やっぱり音読っていいわって思いました」

アナウンサー技術のためではなく、健康のために音読を勧めている。

「子育てを終えた主婦で、やることがなくて家に閉じこもっている高齢の方。コロナ禍もあって、ほとんど家にこもって声を出す機会がない。電話がかかってきても、『もしもし』の次の言葉が出てこない。そういう事例があるんです。音読というのは、すごく脳の活性化にもいいし、認知症予防にもなる。実際にボロボロだった私が、よみがえることができました」

運動はストレッチ程度。寺田にとっては音読が健康の基本だ。

「朝、日光浴をすると、声がよく出ます。声を出すことが基本ですので、喉を痛めないように腹式呼吸。そのためには筋トレが必要なんですが、ジムに行くこともできないので、家でおなかに力を入れて鍛えています。あとはブルブルブル~って、リップロールというのをやっています」

しゃべり方は人間関係の基本。健康や仕事のバロメーターになると言う。

「しゃべり方で、印象が変わりますよね。菅(義偉)首相の国会中継を見ていて、声に元気がないと思ったらカメラで抜かれた時に肩で息をしていました。大変なんだなって見ちゃいました」

キャスター経験が豊富な小池百合子都知事は、声を出すテクニックがうまい。

「すごく声の使い方がよかったんだけれど、やっぱり最近はお疲れになってるのかなって思います。議会でも相手を落ち着かせるためには、自分が声を荒らげない。声のトーンのテクニックを、うまく使い分けていらっしゃる」

★内気少女が花形職業に

子供の頃は人見知りで、外ではおとなしく、家に閉じこもっているタイプだった。

「ただ、フォーリーブスやキャンディーズといったアイドルグループのファンだったんです。(フォーリーブスの)北公次さんが『僕は女学生』(73年)っていうドラマをやってて、その相手役を募集したんで、こっそり応募しました(笑い)。もちろん駄目だったんですけど、その時にデビューしたのが大竹しのぶさんで、すごく印象に残っています」

引っ込み思案だった少女は、84年にフジテレビにアナウンサーとして入社した。

「アナウンサーになって、憧れていた方たちと一緒に歌番組の司会ができたらとか、インタビューをしたいと思ってました。フォーリーブスのおりも政夫さんとは、水着大会でご一緒させていただきました。キャンディーズは、ずっとお会いする機会がなかったんですが(長女の)ゆりえがシンガー・ソングライターになって伊藤蘭さんに楽曲提供したので、便乗して会うことができました(笑い)」

「俺たちひょうきん族」で“元祖アイドルアナ”と言われたが、女性アナウンサーは、男性アナウンサーやタレントのアシスタントが基本の時代だった。

「そこはちゃんと自覚してました。フジテレビ時代に愛川欽也さん、高田純次さん、島田紳助さんたちのアシスタントをやらせていただきました。メインのキャスターがやりやすいように、番組全体に気を配るように言われていました。愛川さんの司会だったら、愛川さんがやりやすいように合いの手を入れて進めていく。『クイズ地球どんぶり』では桂三枝さん、今の文枝さんのアシスタントとして、いかに三枝さんが気持ちよく仕事できるか、まるで番組の母親のような気持ちで気を配っていました。生島ヒロシさんと組んでいた生のワイドショーでは、生島さんの言葉が途切れた瞬間を狙って質問するとか」

昭和から平成、令和となって、女性アナウンサーの役割も大きく変わった。タレント以上に大きな光を放つアナウンサーもいる。

「今は写真を見ても素晴らしいし、元々からしゃべるのも慣れているし、カメラ映りもすごい。講師を務めている『生島アカデミー』で指導していても、とっても良いものを持ってる子たちが多い。どういう風に育ててあげたらいいんだろうと、いつも頭を悩ませています」

★後悔から認知症ケアも

14年間のブランクから、53歳で復帰したアナウンサー。

「主人を亡くした時、コールセンターに就職しようとしたんです。元アナウンサーだからできるだろうと思われたんですけど、体も弱っていたし対応ができませんでした。アナウンサーというより、声を出す音読、朗読を広めるのが、今の私の仕事、役割だと思っています」

6年前に亡くなった母親は、10年間も認知症を患っていた。

「元々、父が糖尿病を患って入退院を繰り返しているところに、母が認知症になってしまった。元気なんだけど、言っていることが訳分からなくなってしまい、父が『もう生きていてもしょうがない』と疲れ果ててしまった。私も母をランチに連れ出したりしていたけど、父に生き甲斐をあげられていればと…。その経験を生かして認知症サポーターもやらせてもらっています」

朗読、後進の指導と還暦を迎えて充実している。

「フジテレビ時代のアナウンサー仲間たちのグループがあるんです。初代ひょうきんアナの山村美智さんとか、フジテレビに残っている吉崎典子ちゃんとか川端健嗣さんとかの同期とかね。前は、ことあるごとに集まっていたんですが、コロナで集まれない。明日はどうなるか分からないけど、ここで踏ん張って、また笑顔で集まりたいですね」

元祖アイドルアナウンサーは再び輝きだしている。

▼所属事務所「生島企画室」会長でもあるフリーアナウンサー生島ヒロシ(70)

「相性ってありますが、寺田さんとは、僕が『やんちゃ』で彼女が『たしなめて』くれる役回りなんです。とてもキュートで、ミーハーなところもありますが、一緒にいるだけでホッとします。一方で、ご主人の死別に伴うアゲンストの風に対しても毅然(きぜん)として、家族を守るお母さんとしての強さも持ち合わせています。まさに『敵は幾万ありとても…』です。これからも還暦…60年の人生経験を『生きた知恵』として、ドシドシ発信してください」

◆寺田理恵子(てらだ・りえこ)

1961年(昭36)7月15日、東京生まれ。聖心女子大を卒業し、84年フジテレビ入社。85、86年に「オレたちひょうきん族」の2代目ひょうきんアナ。89年にドラマ演出家との結婚を機に退社しフリーになるも98年に離婚。90~94年、TBS系「ビッグモーニング」司会。00年に一般男性と再婚して引退したが、12年に死別。14年にTBSラジオ「生島ヒロシのサタデー・一直線」で仕事復帰。2人の娘の母で、長女はシンガー・ソングライターゆりえ(31)。認定心理士資格取得。血液型A。

◆「『毎日音読』で人生を変える」(さくら舎)

寺田理恵子著。2014年(平26)に14年のブランクをへてアナウンサーに復帰した寺田が、復活のために始めた「音読」のノウハウを明かし、レッスン法を紹介する。9日発売。

(2021年9月5日本紙掲載)

自著を片手に年齢を感じさせない若々しい笑顔を見せる寺田理恵子アナウンサー(撮影・勝部晃多)
自著を片手に年齢を感じさせない若々しい笑顔を見せる寺田理恵子アナウンサー(撮影・勝部晃多)
手で作ったハートマークの中から笑顔を見せる寺田理恵子アナウンサー(撮影・河野匠)
手で作ったハートマークの中から笑顔を見せる寺田理恵子アナウンサー(撮影・河野匠)