状況を注視しながら、ようやく公演を再開した演劇界。脚本家三谷幸喜氏の新作舞台「大地」(PARCO劇場)を見た。昨年考えたという筋書きは、くしくも俳優が演じることを禁止された治世の物語。コロナ禍で演劇が止まったこの4カ月と重なる中、「役者と観客と台本があれば、芝居はできる」という演劇人のしぶといせりふを心強く聞いた。

◇   ◇   ◇

演劇を見るのは2月以来だが、劇場の様子は様変わりしていた。感染防止対策のため、靴の消毒→体温測定→手の消毒の3ゲートを通過して初めてロビー入りできる。650弱の客席は、密を避けるため1つ置きに用意され、定員の半分で催行。客はマスク着用の上、私語禁止がアナウンスされた。

そんな状況の中で上演された「大地」のオープニングは、三谷氏の覚悟がうかがえるものだった。1924年、築地小劇場からスタートした現代演劇の歴史をナレーションで語り、「僕たちはかつてない状況の中にいますが、幕は再び上がります。役者がいて、観客がいて、台本があれば、演劇の火が消えることはないのです」。96年前の築地小劇場の伝統にならい、ドラの音で再スタートの幕を開けた。

物語は、映画や演劇などのエンタメがご禁制となった独裁国家を舞台に、収容所で強制労働させられている俳優たちの共同生活を描く。演じる本能を封じられ、心の整理がつかない様子は今の演劇界そのものに見える。昨年台本を書いたという三谷氏は会見で「なんたる先見の明」と述べていたが、実際そう思う。仲間のため、俳優としての衝動のため、政府役人の目をごまかそうと全員で打ったひと芝居が、思わぬ結末へとつながっていく。

下層役人が書いたヘタすぎる台本ですら「芝居ができるだけありがたい」と手に取るプライドもあれば、「芝居への冒とく」と背を向けるプライドもある。個性も価値観も異なる8人を通して描かれる「三谷流俳優論」が分厚い。

どれが正解というわけではない自意識がさまざまな激突を生むけれど、始まってしまえば自然と役割を見つけて協調し、虚構の世界をありありと立ち上げてみせる俳優の本能がドラマチック。「テーブルがないなら、あるように見せるだけだ」。監視の目すら“観客”にし、本当にみんなで酒を酌み交わしているように振る舞ってみせるエア晩酌のシーンは、美しい名場面だった。「役者と観客がいれば、芝居はできる」。理不尽な状況でも、プロとして毅然(きぜん)とあろうとする登場人物たちの戦いぶりが、コロナ禍のメンタルに染みた。

出てきただけで面白い山本耕史、シェークスピア調の快刀乱麻だった辻萬長、なんだかんだ劇場の空気をごっそり持っていく大泉洋らの本領を見ながら、やはりライブは格別だと実感した。感染予防のためカーテンコールは1度きりだったが、役者は、客の拍手があればどんな困難も乗り越え、輝く人たちなのだとあらためて思う。登場人物たちが夢見た気ままな芝居巡業の日々が早く戻ってくるよう願うと同時に、これからも堂々と観客でいようと思える作品だった。

出演は大泉洋、山本耕史、竜星涼、藤井隆、濱田龍臣、まりゑ、相島一之、浅野和之、辻萬長、栗原英雄、小沢雄太。東京公演は8月8日まで東京・渋谷のPARCO劇場で。8月12日からサンケイホールブリーゼで大阪公演。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)