女優神田沙也加さんが18日夜、札幌市内のホテルで亡くなりました。35歳の若さでした。

ミュージカル女優としての人気はよく知られるところですが、学校で1度は髪形を聖子ちゃんカットにしたことがある“聖子ちゃん世代”にとっては、沙也加さんは生まれた時から知っている「国民の娘」のような特別な存在。35歳での突然の悲報に、心の整理が追いつきません。

この世代なら、86年(昭61)10月16日の「聖子ちゃん退院」という“国民的慶事”は、新聞、テレビで目に焼きついていますよね。おくるみの中ですやすや眠る沙也加ちゃんを抱いた聖子ちゃん(当時24歳)が、夫の神田正輝さん(同35歳)とともに東京逓信病院を退院。よく晴れた日で、敷地内の植え込みにフランクに腰掛けた夫妻は、カメラ越しに、沙也加ちゃんを日本中にお披露目してくれました。

24歳でママになった聖子ちゃんは本当に幸せそうで、日差しとカメラの前でもまったく起きない沙也加ちゃんの寝顔もかわいくて、日本中がうれし涙で祝福した1日だったと思います。

当時の本紙を読むと、取材は新聞、雑誌、テレビの代表3社で行われていました。敷地の外は3000人の見物客で大騒ぎだったようですが、中は代表取材とあって、聖子ちゃんも正輝さんもリラックス。「陣痛5時間」「帝王切開」という、この世代なら誰でも知っている沙也加ちゃん情報も、この時に聖子さんが明かしたものです。

SNSなどない時代に、みんなが「聖子ちゃんも沙也加ちゃんも頑張った」「おめでとう」を共有していて、みんな勝手に身内感覚。それはデビュー以降も続いていたと思いますし、それくらい、沙也加さんは愛されていました。

92年、正月をハワイで過ごす芸能人のハワイ取材が華やかだったころ、ホノルル空港で当時5、6歳だった沙也加ちゃんがごあいさつしてくれたことが思い出されます。

当時は芸能人と取材記者の壁が今ほどではなく、遭遇すれば直接「その節はありがとうございました」くらいのあいさつは普通に交わした時代。出国審査を終えた先は取材禁止で、お互い仕事ではない気楽なエリア。免税店の前で沙也加ちゃんと手をつなぐ聖子さんとすれ違い、前年の取材御礼を伝えたところ、聖子さんが沙也加ちゃんに笑顔を向け「ごあいさつは?」。小さな沙也加ちゃんがしっかりと「こんにちは」とごあいさつしてくれました。

大きくなった沙也加ちゃんにも、優しくてしっかりしたママである聖子さんの横顔にも感動。幸運な経験でした。

02年に沙也加さんが「ever since」で歌手デビューした時は、本人が書いた歌詞の素晴らしさに感銘を受けましたし、CDは今でも大切な1枚です。その後も、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のコゼット役や、「キューティー・ブロンド」のエル役、映画「アナと雪の女王」のアナ役など、すてきな歌声でたくさん楽しませてもらい、紙面を飾ってもらいました。芸能記者として、感謝しかありません。

86年の退院会見で、「沙也加ちゃんに望むことは」と質問を受けた聖子さんは「健康に育ってくれれば十分です」。ご両親の悲しみは計り知れません。沙也加さんのご冥福をお祈りいたします。美しい歌の数々を、ありがとうございました。【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)



◆主な相談窓口

・いのちの電話

ナビダイヤル=0570・783・556(午前10時~午後10時)

フリーダイヤル=0120・783・556(午後4時~同9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時)

・日本いのちの電話連盟 https://www.inochinodenwa.org/

長女、神田沙也加さんをお披露目する松田聖子さん(左)と神田正輝さん(1986年10月撮影)
長女、神田沙也加さんをお披露目する松田聖子さん(左)と神田正輝さん(1986年10月撮影)