「ツィゴイネルワイゼン」など鮮やかな色彩感覚と様式美あふれる作品で知られた映画監督の鈴木清順(すずき・せいじゅん)さん(本名清太郎=せいたろう)が13日午後7時32分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、都内の病院で死去した。93歳。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻崇子(たかこ)さん。

 遺作となった05年「オペレッタ狸御殿」公開後、次回作の準備が水面下で進んでいた。室生犀星の小説「蜜のあわれ」の映画化。清順監督は幻想的な世界観が気に入り、映像化に強い意欲を示した。約3年前、清順監督側から「体が言うことをきかない」と申し出があった。その1年前から体調がすぐれず、映画関係者とのやりとりも減っていた。念願はかなわないまま旅立った。

 映画監督の出発点は、学徒出陣でフィリピンを転戦時、輸送船団が魚雷攻撃を受けた経験だった。12隻中10隻が沈み、親友は自殺。この悲劇が、極彩色に彩られた映像美、生と死を見つめる作風の原点となった。

 終戦後、松竹に入社。助監督として現場に入り、その後、日活に移籍して監督デビューした。和田浩治さんや宍戸錠が主演したアクション作品で斬新な色彩感覚を発揮。小林旭主演「関東無宿」や渡哲也主演「東京流れ者」で舞台的な様式美も表現。高橋英樹主演「けんかえれじい」は自分の青春体験を反映させた。

 日活から「訳の分からない映画ばかり作られては困る」と、67年「殺しの烙印(らくいん)」を最後に解雇された。日本映画監督協会など映画団体の支援を得た裁判の末、日活と和解したが、77年「悲愁物語」までの10年間はドラマやCMを演出して過ごした。

 復活後の活躍はめざましかった。80年「ツィゴイネルワイゼン」はベルリン映画祭審査員特別賞のほか、ブルーリボン賞監督賞など国内外で高く評価された。

 白ひげの仙人のような風貌でドラマや映画に俳優としても出演した。敬愛する若手監督たちからの出演依頼は絶えなかった。日本テレビ系バラエティー「笑って許して!!」にレギュラー出演するなど、お茶の間でも人気になった。

 「鬼才」「カルトの巨匠」と評されたが、素顔は控えめでおちゃめ。「オペレッタ狸御殿」はかつての名監督たちが手掛けた人気シリーズの再映画化。作品完成後に「やっと映画監督の仲間入りをしたね」と言って笑わせた。カンヌ映画祭の栄誉上映時は世界中の映画人が惜しみない拍手を送った。製作に関わり、同映画祭に同行した坂上直行氏は「当時、酸素吸入器を付けていたが、レッドカーペットでは外し、かくしゃくとしていた。街に出ると多くの人が周囲に集まり、(主演の)チャン・ツィイーも尊敬のまなざしで接していた」と振り返る。

 私生活では88歳の時、48歳下の崇子さんと再婚。米寿のパーティーには仲むつまじく出席した。しのぶ会は清順監督の強い遺志もあって予定されていない。

 ◆鈴木清順(すずき・せいじゅん)1923年(大12)5月24日、東京都生まれ。実弟は元NHKアナウンサー鈴木健二氏。48年に旧制弘前高校卒業、同年に松竹大船撮影所入社。54年に日活に移籍、56年監督デビュー。58年から鈴木清順名義。ベルリン、カンヌ、ベネチアの3大映画祭で作品が上映された。75年「暗くなるまで待てない!」で俳優デビュー。90年紫綬褒章、96年勲4等旭日小綬章。