肺炎のため亡くなった京唄子さん(享年89)を「芸能界の母」と呼び、ラジオ生放送中に号泣した上沼恵美子(61)が10日夕、大阪市福島区で、レギュラーのABCラジオ「上沼恵美子のこころ晴天」(月曜正午)生出演を終え、取材に応じた。

 「ちょっとラジオで、泣いちゃった。すいません」

 照れくさそうにしながらも、唄子さんへの思いを続けた。「神様みたいな人、大阪の大大大・宝! ご立派です。あの人のおかげで今の私があります」と感謝の言葉を並べた。

 結婚後、いったん引退を表明した上沼は、79年のNHK連続テレビ小説「鮎のうた」に出演。当時、共演者から「1度辞めたなら、すっこんどけ(引っ込んでおけ)」と言われ、いじめに遭う中、唄子さんだけが「あんたは大阪の宝。辞めたらあかん」と激励。復帰にあたり、上沼の背をおしてくれた存在だった。

 唄子さんとは、その後も親交が続き、上沼の冠番組、カンテレ「快傑えみちゃんねる」(金曜午後7時=関西ローカル)にも定期出演。上沼は「今でも、声も姿も、表情も全部思い出します」と話した。

 最後の出演は、唄子さん最後のテレビ出演となった10年のTBS系「渡る世間は鬼ばかり」の2年前だったといい、以後も、時折、休養中の唄子さんの大阪市内の自宅へ電話を入れていた。

 上沼は、体調が回復すれば、番組に出てほしい意向を長女節子さんらに伝えたが実現せず。唄子さん側に差し入れ希望を聞くと、なぜか唄子さんは「バナナちょうだい」と言ったそうで、バナナを自宅へ送るなどしていた。

 「復帰したとき、『(仕事を)やらないかん』言うてくれたのは、あの方だけ。だから、私、もう『つっかえ棒』がないんですよ、それが京さんなんです。本来、女同士って、年齢関係なく、『辞めた人間出てこんでええわ』ってなるもんですけど、あの方は、ちょっと(次元が違う)上の方です。神様みたいな人」

 その“神様”が、「-えみちゃんねる」のハワイロケにも出演し、水着を披露したことがあったそうで、上沼は「やりたいことある、言うから、何ですか? いうたら、水着や、と。ワンピースですけど、水着になってもらったこともありました」。偉大な大先輩、師匠格でありながら、気さくでちゃめっ気のあった人柄にもひかれていた。

 そんな唄子さんの葬儀は家族葬であったため、お別れができなかったことを後悔。「お別れの会は、しなければダメですよ。あれだけの大物。しないと大阪の恥。発起人、私、なりたいですね。相談があれば、もちろん協力させていただきたい」と話していた。