今月4日に心不全で、78歳で亡くなったことが分かった俳優津川雅彦(つがわ・まさひこ)さん(本名・加藤雅彦=かとう・まさひこ)を惜しむ声が8日、芸能界から数多く上がった。映画は150作以上、ドラマも300作近い作品に出演した名優が亡くなり、喪失感が広がっている。また、今年4月亡くなった妻で女優朝丘雪路さん(享年82)と合同のお別れの会が予定されていることも分かった。

 津川さんは昭和、平成を通じて活躍した。その俳優人生をなぞるように、さまざまな時代、世代から、悼む声が上がった。

 津川さんが俳優の道に本格的に進むことになり、故石原裕次郎さんと共演した映画「狂った果実」(56年)。裕次郎さんの妻石原まき子さんは北原三枝の名前でスター女優として活躍していた時、同作で津川さんと共演した。まき子さんは「ご病気になられて気にかけておりました。大変残念です。お悔やみ申し上げます」とのコメントを発表した。津川さんが昨秋肺炎を患い、酸素吸入器を手放せなくなったことを知って心配していたという。

 故伊丹十三監督との出会いも大きく、津川さんは後に「根性を教えてもらった」と話している。「マルサの女」(87年)など数々の伊丹作品で共演した、伊丹監督の妻で女優宮本信子(73)のショックは大きい。マサヒコちゃん、ノブちゃんと呼び合っていたそうで、宮本は「『スーパーの女』(96年)あたりから息もぴったり合って芝居をするのが本当に楽しかった。名コンビだった。伊丹監督の厳しい注文をクリアすると、手を取り合い『やったぁ~』とハグして喜びました。あちらの世界で監督と一緒に待っていてください」。

 NHK大河ドラマ初主演作「葵(あおい) 徳川三代」など、数多くの作品をともにした西田敏行(70)は「巨星落つ」と万感を込めた。津川さんがマキノ雅彦の名前でメガホンを取った映画「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」(09年)でもタッグを組んだ。西田は「作品ごとに違う津川雅彦さんを目の当たりにして、底知れぬパワーに驚愕(きょうがく)しました」と振り返った。

 津川さんが公の場に最後に姿を見せたのは、5月20日、朝丘さんが前月27日に亡くなったことについての会見だった。朝丘さんが4~5年前にアルツハイマー型認知症を発症したため、それまで別居していたが、3~4年ほど前から再同居していたことを明かした。朝丘さんが亡くなってから99日で、津川さんもいってしまった。関係者によると長女で女優真由子(44)は、2人一緒のお別れ会を考えているという。45年の結婚生活は波乱に満ちていたが、最後はやはりおしどり夫婦だった。