フジテレビ系連続ドラマ「シャーロック」(月曜午後9時)に主演しているディーン・フジオカ(39)をインタビューした。

記者が初めて、フジオカの存在を知ったのは、大方の人と同じく15年下期のNHK連続テレビ小説「あさが来た」の武士の実業家五代友厚役。4年前のことだ。フジオカは、もう35歳になっていた。

フジオカは20代半ばから香港、台湾、北米でモデル、俳優のキャリアを積んで、いわば“逆輸入”の形で、日本のドラマ、映画に出演するようになり、日本では30代半ばで売れっ子になった。

インタビュー前にフジオカの“同学年”の俳優を調べると、妻夫木聡、岡田准一、広末涼子、竹内結子らの名前が出てきた。いずれも10代のうちから売れっ子になり、今なお第一線で活躍している。広末にいたっては、15歳の時から活躍。鈴木京香と共演した96年のNTTドコモのポケベルのCMは、今でも印象深く残っている。

同学年のスターたちより20年近く遅れて売れっ子になったフジオカに、当時はどのような思いで彼らを見ていたのかを聞いてみた。

フジオカは「ITなのかは分からなかったけど、何かを起業でもするのかなと考えていた。日本は、もう自分には縁のないところだと思っていた」と20代前半の頃を振り返ってくれた。

香港、台湾、北米でのデビューを経て、日本でドラマのオファーが来るようになったのは30歳をすぎてから。日本の芸能界は年齢ではなく、デビューの早い人間が先輩となる世界。30歳すぎて、日本の芸能界に参入した時のことを「当時の日本の芸能界ではアジアで活動した実績は数えてもらえない」と言う。悔しい思い以上に、その現実に戸惑ったのではないかと思ったが、フジオカは「日本で“4回目の新人”。新人をやるたびに成長させてもらった」と話してくれた。

もちろん強がりではない。本来だったら、日本語圏内より広い世界で実績を残していたのだから、もっと上から目線で語っても驚かない。だが、フジオカの言葉は素直に心にしみた。グローバルな世界を知って、着実に実績を残した人間の素直な言葉だからだ。

商売柄、お笑い芸人からきれいな女優さんまで、いろいろな人にインタビューさせていただいているが、これほど心を打たれたのは久しぶりだった。英語を自由自在に話すフジオカが、話の途中に入れてくる英語もすごく自然で「これは女子だったらほれちゃうよな」と思わされた。

30年近く前に強引なカタカナ英語でブレークしたルー大柴(65)担当だったからこその素直な思いだ(笑い)。しばらくは“ディーンさま”の活躍から目が離せない。