早いもので今年もあと残すところ1カ月となりました。芸能記者にとってこの師走は1年の中でも最も忙しい季節なのです。レコード大賞や紅白歌合戦などの年末恒例の芸能イベントに加え、12月28日には、日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞の表彰式が行われるのです。紅白やレコ大は取材する側ですが、映画賞は運営する側でもあるので、二重に仕事がわき上がってきます。

その映画賞の選考委員会が先日、行われました。まだ、紙面での発表前ですので、受賞者や受賞作品を明かすことはできないのですが、選考会では、ある事象というか、出来事をめぐり、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論となりました。

それは「表現の自由」をめぐる議論です。

今年最も、この表現の自由をめぐって論争になったのは、愛知県で開かれていた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」でした。中止や再開の議論のほか、文化庁が国の補助金を交付しないと決定するなど、大きな騒動となりました。

映画界としては、この「表現の不自由展・その後」での論争とおなじような形で、川崎市で開催されたしんゆり映画祭2019で、ドキュメンタリー映画「主戦場」が、市側の意向で上映中止となり、その後、さまざまな方面から批判を受けたことで、再び上映再開したという事件も起きました。

そして、文化庁の補助金をめぐっては、映画「宮本から君へ」への助成金「芸術文化振興基金」の交付が、内定していたにもかかわらず、その後、取り消されたこともニュースになりました。出演者のピエール瀧が麻薬取締法違反容疑で逮捕され、有罪判決を受けたことがその理由だというのです。「公益性の観点から適当ではない」とのことでした。

つまり、映画界もこの表現の自由をめぐって、大きく揺れた1年だったのです。だからこそ、今年の選考会は、各選考委員から、いろいろな意見が飛び出しました。

個人的にはこの補助金について持論があります。それは、日本の映画産業を盛り上げるために補助金があるのであって、時の政権への忖度(そんたく)によって、その補助金が交付が左右されてはならないということです。

昨年のカンヌ映画祭で最高賞であるパルムドールを受賞した是枝裕和監督の「万引き家族」も補助金が交付されました。ところが、是枝監督が「公権力とは距離を保つ」と発言したとたん、「助成金をもらっているのに矛盾している」と政治家を含め、安倍政権の支持者らから、バッシングを受けたのです。

これも、とてもおかしい。補助金は映画文化の振興のためであって、政権を応援するためのものではないはず。なのに、政権を批判するなら金を出さないぞというのは、逆の意味では、時の政府を称賛する映画を作れといっているようなものではありませんか。

金を出すから、俺のことを称賛しろ。どこかの、成り金おやじが、キャバクラで札束をひけらかして、女性キャストにもてようとする姿とどこか重なってしまうのは私だけでしょうか?

もちろん、政治色がある映画がいいと言うつもりもありません。そうではなく、金を出したからといって、芸術には口を出すな。ただ、それだけを言いたいだけなのです。嫌な作品は、見なければいいわけですから。