11日に虚血性心不全で亡くなった野球評論家野村克也さん(享年84)が、息子でプロ野球楽天の作戦コーチを務める克則氏(46)と出演したテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜正午)が12日、緊急放送された。

先月20日に収録され、3月以降に放送予定だったが、11日の訃報を受けて、この日に放送された。

野村さんは、司会の黒柳徹子(86)からの質問に快活に応じ、体調面で問題がなかったことをうかがわせた。

克則氏が野球選手になりたいと言った時、野村氏は反対したという。

克則氏は「高校からプロに行きたいと言ったら、大学に行ってくれと言われた。そのあとヤクルトにお世話になりました」。

そして小学校3年の時に書いた作文が紹介された。克則氏は「お父さんが(ホームラン記録で)負けた王(貞治)さんの記録を破ります。お父さん力を貸してください」とつづっていた。野村氏は「その心意気が、いいじゃないでしょうか」と笑顔を見せた。

野村氏は「高校、大学と7年間、寮に入っていた」と言うと、克則氏は「(野村氏は)家にいることが少なかったので、いつも母といました」と17年12月に虚血性心不全で亡くなった、野村氏の沙知代夫人(享年85)をしのんだ。野村氏とは逆に、沙知代夫人は克則氏のプロ入りに前向きだった。克則氏は「勉強より野球をしろと言われました」と振り返った。

晩年の沙知代夫人について、克則氏は「前より柔らかくなった。『ありがとう』と言ってくれてるようになりました」。家族葬で使われた、沙知代氏が笑顔で右手の親指を突き出してサムアップしている写真が紹介された。克則氏は「なんで、こんな写真をと言われたけど、僕の中ではこれが母の姿」と話した。

野村氏は「3歳で父親を亡くして苦労して育った。貧乏がいやでね。野球は道具が必要だから、貧乏で短パンでランニングシャツで写真に写っています。試合に行く時は、後輩にユニホームを借りた」と振り返った。周囲からは「野球なんてやらずに家の仕事を手伝え」と言われたが「兄が野球をやらせてくれた。勉強が好きな兄だった」と振り返った。

沙知代夫人との結婚生活について、野村氏は「僕は2度目なんですけどね」。なにかと騒動を起こした沙知代夫人に対して、離婚を考えたことがあるかを聞かれると「ありません」と言い切った。

沙知代夫人に贈る言葉を求められると、野村氏は「本当、ありがとう」。克則氏は「感謝しかありません」と話した。