ザ・ドリフターズのメンバーでタレントの志村けんさんがコロナウイルスによる肺炎のため亡くなったことが30日、分かった。70歳。死因は新型コロナウイルスによる肺炎。志村さんが「笑い」に熱く語った04年の記事を振り返ります。

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練り込んだコントにこだわる。ザ・ドリフターズに参加して、今年で30周年の節目となる志村けん(53)。最近の安易なトークバラエティーには納得しない。「笑い」には熱くてかたくなな思いがある。独身。笑いの充足感を知っているからか、女性にはどこか引き気味である。小学校でクラスメートを笑わせたその日から、この人は“お笑いオタク”として生きる運命だったのかもしれない。

「素」に戻るとシャイで物静かなコメディアンは多いが、この人は極め付きだ。小さな声で「どうも」とつぶやくと、目を合わせずに着席。一見、無愛想だが「扮装(ふんそう)でもしてないと照れるんですよね…」と、唐突に人懐こい笑顔を見せたりする。静かな口調だが、現在のお笑い界に対する直言は熱い。

「とにかくみんなネタをやらないよね。お笑いがトークバラエティーばかりになっちゃって。テレビ局だって、必死にアイデア練って時間もカネもかかるコントをやるより、いすを並べたセットでトークやってる方が楽って発想。ロケで延々とモノ食ってたりさ。その場でパーッと楽しくというのも芸だけど、人の記憶には残らない。『8時だヨ!全員集合』みたいに、翌週みんながマネするようなお笑いがない」。

■ 「マンネリで大いに結構。その域まで達してみろって」

ザ・ドリフターズが結成されて今年で40周年。途中参加の志村は30周年になる。昨年12月23日に放送された「ドリフの大爆笑スペシャル」(フジテレビ)は、特番ぞろいの各局で16・6%と最高視聴率を記録。きょう4日には「志村けんのバカ殿様・新春スペシャル」(フジテレビ)も放送される。マンネリと言われながらずっとお笑いの第一線を走っている。

「マンネリで大いに結構。ほかの人はマンネリまでいかないじゃないですか。定番があるのは全然恥ずかしいことじゃない。やってる方の気持ちが新しければ、笑いに古いも新しいもない。ドリフも、僕のバカ殿も変なおじさんも、必死でネタ作ってとことん何年もやり続けてきたわけだから。みんなマンネリの域まで達してみろって」。

小学校のころからクラスメートを笑わせていた。4年生の時には、柳家金語楼の落語のレコードをもとに友達と酔っぱらい男のコントをした。中学や高校でも学園祭の名物男。コント55号のまねをして校長も笑わせた。お笑いに魅せられた背景には、志村家の家庭環境があった。

「父親が小学校の教頭。笑いのない陰気な家でねえ(笑い)。それが、三木のり平さんとかがやってた『雲の上団五郎一座』の舞台中継を見てると、あの暗い家に笑い声が生まれるんだよ」。一座の見せ場は歌舞伎のパロディー。伝統芸能や芝居に精通した上で練り込まれた、奥行きのあるコントに夢中になっていた。「お笑いってすごい。高校卒業後の進路はこの世界以外は考えられなかった」。

進学校の都立久留米高で、大学へ行かなかった男子は志村だけだった。

卒業を控えた2月の雪の日、いかりや長介の都内のマンションを訪ねた。深夜まで12時間待っていた。「必死だったんだね。17歳だもん。雪なんか平気だよ」。コント55号とどちらにしようか迷ったが、中学2年でビートルズの洗礼を受けて以来の音楽マニア。「音楽をベースにしているドリフの方がいろんなコントができると思ったんです」。1週間後、付き人の欠員が出た。「卒業したら行きますって言ったら、いかりやさんに『バカ野郎、明日から東北1週間の旅だ』って(笑い)。荷物まとめて駆け付けた」。

付き人の仕事は、メンバーと楽器の世話。月給は手取り4500円だった。メンバーの残したラーメンのスープで白飯をかき込んでいた。「靴も買えなくて、一時期ずっと裸足で生活してましたからね。電車も裸足ですよ。周りのお客がヘンな顔してね。テレビ局の小道具さんからワラジもらったりしたけど、裸足より目立つんだよね(笑い)。電車? だから乗るのよ、ワラジで」。

ドリフで一番の人気者になった今でも、コントの場を離れれば「いかりやさん」「加藤さん」。押しも押されもせぬトップコメディアンとなっても、素顔に帰れば“ドリフの若い新入り”のままだ。

転機は7年後にやってきた。74年、荒井注さん(00年に死去。享年71)の脱退を受け、24歳で正式メンバーになった。

「オレが? って感じですよ。いずれ自分のお笑いで独立しようという夢があって、そのために付き人やってたわけで、ドリフに入ろうなんて気はまったくなかったから」。生放送の「全員集合」での初舞台は「緊張で何をやったかまったく覚えていない」という。

■ 荒井注のイメージ苦しみ「東村山音頭」でブレーク

2年間は何をやってもウケなかった。「荒井さんのイメージが強すぎて『こんなやつ、認めないぞ』っていう、お客さんの空気をひしひしと感じるんですよ」。自分が出た途端に客席がシーンとなる。苦し紛れに口をついた故郷の歌「東村山音頭」でようやくブレークした。あまりにもつらそうな当時の話に「辞めようと思ったことは」と水を向けると「そんな根性で入ってないですもん、この道」と、この時ばかりは怒ったように真顔になった。

トークバラエティーや即興のリアクション芸が全盛の中、作り込んだコントにこだわっている。「トークで瞬発的に盛り上げる明石家さんまさんもすごいけど、彼のようになりたいとは思わない。目指す方向が違うから。僕は自分が素でいることが苦手なんですよ。慎重派で心配性で、計算して台本を作らないと不安で仕方がない」。飲み屋でもネタが頭から離れない。酔って帰宅しても台本を書いている。行き詰まると“ベンチ1個で何ができるか”という原点にまで戻る。「しんどいけど、ウケない恐怖に比べれば…。『つまんない』って言われたら、この商売では『死ね』ってことだから」。

志村のキャラクターには、どれも「こんな人、いるいる」という、生活感に裏打ちされた笑いが漂う。得意のおばあさんキャラでは「川越の『かどや』ってラーメン屋のばあさんが、こーんなに腰曲がったままラーメン運んできてね。すごいどんぶりの出し方するんだよ」。まるでミリ単位でそのおばあさんのような気がしてくる動作だ。変なおじさんは自分自身といってもいい。「小学校で好きな女の子の縦笛吹いたり、アイドルの使ったストローを吸っちゃったり。そんな自分を1人歩きさせてます」。いかにもいそうな人というリアリティー。その人が、何か突拍子もないことをする。子供からお年寄りまで、どんな世代も笑わせる志村コントの原点だ。

■ 「結婚したいですよ。子供も欲しいし」

いずれはまた舞台でコントをしたいという。司会も俳優業もクイズ番組も興味がない。「何千人って舞台でお客さんの笑いをバーンって受けてきたコメディアンは、司会じゃ我慢できないですよ」。トップコメディアンの座の座り心地を聞くと「周りの評価は知らないけど、オレなんてまだひよっ子だと思ってる。どの道、コントで100点満点なんて絶対ないんだから」。

プライベートでは、独身最後の大物と言われて久しい。トップアイドルとのうわさは多いが、いずれも結実することはなかった。「結婚したいですよ。子供も欲しいし」と口をとがらせる。好きなタイプは「僕のファンで、僕を大事にしてくれる人。笑顔を見てホッとできる人」。「同世代だと50ですからね。やっぱり20代がいいよねえ」とニヤニヤする。現在は「大まかに付き合っている人はいるけど、難航してますね」。

これまでの恋愛について「いつだって付き合う時は結婚するつもりなんですけど、仕事中心に考えてしまう人間なので…」。うつむく様子は、文字通りシュンとした雰囲気だ。終わるパターンはいつも同じ。「付き合い始めると、安心して自分のペースに戻っちゃう。こっちの気持ちは十分あるのに、相手は心配になるんだろうね。『仕事ばかりで私はどうなの』って」。相手がン十歳下では仕方のない展開だが「おれ、もめ事嫌いなんだよね(笑い)。平和主義だから」。その結果、今では寝る前にしじみ汁を仕込んだり、朝起きてアジを3枚におろしたり。好むと好まざるとにかかわらず、独身の達人になってしまっている。

仕事が終わった時間から深夜2時くらいまでほぼ毎日飲み歩いている。過去に胃かいようを3回体験し、飲めないつらさを痛感した。デリケートなこの人にとっては大問題である。だから、大変な健康オタクになった。焼酎に黒ごまやきな粉、ウコンなどを溶かしながら1日4合くらい飲む。「そうまでしても飲みたい」のだという。「酒が飲めて、仕事がうまくいって、いいおなごが側にいたらもう、言うことないよね」。「おなご」に関しては願望がにじむが、笑いとうまい酒はこの人の思いのままだろう。

【取材・梅田恵子】(2004年1月4日付日曜日のヒーローより)