人間国宝の歌舞伎俳優片岡秀太郎(かたおか・ひでたろう)さん(本名片岡彦人=かたおか・よしひと)が23日午後12時55分、慢性閉塞(へいそく)性肺疾患のため、大阪府吹田市の自宅で亡くなったことが27日、分かった。79歳。葬儀、告別式は家族葬で執り行われた。

13代目片岡仁左衛門の次男で、46年、京都南座「吉田屋」の禿(かむろ)で、本名で初舞台。56年に2代目片岡秀太郎を襲名した。はんなりとした芝居を継承する女形として長年舞台に立ってきた。

上方歌舞伎の振興に力を注ぎ、「恋飛脚大和往来」の梅川、おえんなど上方の情趣が不可欠な役に秀で、近年では「菅原伝授手習鑑 道明寺」の菅丞相伯母覚寿、「盛綱陣屋」の微妙など時代物の老女の大役で風格を示している。

最後の舞台は昨年の京都南座「一谷嫩軍記熊谷陣屋」の経盛室藤の方だった。

97年に開塾した「松竹・上方歌舞伎塾」や、14年に開校したこども歌舞伎スクール「寺子屋」では講師を務め、後進の育成に力を注いできた。

19年には上方歌舞伎の技芸を伝承してきた業績が認められ、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。今年は旭日小綬章を受章した。

ほか、松尾芸能賞優秀賞、大阪芸術賞、京都府文化賞功労賞、伝統文化ポーラ賞優秀賞、大阪市市民表彰(文化功労)など。

▼弟片岡仁左衛門(77) 「兄は当人の理想通りの最期を迎えられ、安らかに旅立ちましたことが私たちどものせめてもの救いでございます。生前、皆様から賜りましたご支援、ご厚情に深く御礼申し上げます」

▼養子の片岡愛之助(49) 「父は私を歌舞伎の世界に、そして、松嶋屋に入れてくださった大恩人で有ります。普段はとても優しいのですが、芝居の事になるととにも角にも厳しい方でした。上方にこだわり上方の歌舞伎に情熱を注がれていました。これからもなお一層、秀太郎イズムを踏襲したいと思っております」