大阪松竹座「松竹新喜劇 錦秋公演」(11月6~21日)で、日本喜劇の“祖”でもある「曽我廼家」の名跡を襲名する松竹新喜劇の植栗芳樹(40)桑野藍香(29)竹本真之(36)が1日、大阪市天王寺区の天龍院で、曽我廼家五郎、十郎の墓参りを行った。この日は五郎の命日でもあり、曽我廼家の先輩、曽我廼家文童、八十吉、寛太郎、玉太呂も出席し、7人がそろった。

曽我廼家一蝶を継ぐ植栗は「今日はこうして文童さんら、曽我廼家の先輩も来てくださり、少しでもにおいなりを教えて頂きたい。今後、20年後、30年後に僕たちが後輩に(曽我廼家の芸を)教えていけるように努めたい」と表情を引き締めた。

ヒロイン女優の桑野は曽我廼家いろはを継ぎ「(先達に)ごあいさつができましたこと、よかったと思います。控室で昔のお話を聞かせて頂き、私どもも頑張っていかないと-との思いを強めました」。

曽我廼家桃太郎を名乗る竹本は「あらためて身が引き締まる思いで、今日は過ごしました」と語った。

松竹新喜劇のルーツは、曽我廼家五郎・十郎が日本で初めて「喜劇」と銘打ち、1904年(明37)に大阪・道頓堀の浪花座で旗揚げした「曽我廼家兄弟劇」。後に松竹家庭劇を経て、松竹新喜劇が誕生した。

この新喜劇の創設メンバーの1人が、上方喜劇女優の浪花千栄子で、昨年後期のNHK連続テレビ小説「おちょやん」で描かれた。

俳優として「白い巨塔」などに出演し、今は新喜劇俳優ではない文童も「私は座員ではないけど、(曽我廼家)十吾の弟子として、私たちも先輩の指導によってここまでこられました。僕自身も役者として、ご飯を食っていけるようになりました。(3人には)曽我廼家の名前をプレッシャーにせず、楽しく悩んでいってほしい」とエール。

八十吉は名跡継承に「賛成できなかった」と吐露も、それは「古い名前」と心配があったからだと説明。「とくに女性には名前をどうつけるのかと思っていたら、いろはということで、ホッとしております」と笑顔を浮かべた。

寛太郎は「曽我廼家の芝居の形、心に置いて、喜劇役者のハートを大事に精進して欲しい」。玉太呂は、若い感覚をつねに持って「、お芝居をうまくやろうと思わないで、相手に(いい)芝居をさせるような役者になってほしい」と期待していた。