歌手叶純子が3年ぶりの新曲「ああ…大阪」を発売した。大阪の淀川近くのアパートで暮らす男と女の物語を情感たっぷりに歌い上げている。06年に64歳で亡くなった歌手、黒木憲さんとのデュエットで81年に歌手デビュー、翌82年のソロデビューから来年は40周年を迎える。新曲への思いと歩んできた道のり、そしてこれからを聞いてみた。

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歌手として着実な歩みを見せていたが、実は大きな悩みを抱えていた。

「実は1度結婚して、離婚して防府で働いていたんです。娘を1人で育てていました。今で言うシングルマザー。鈴木先生にも相談して、娘を姉夫婦に預けて山口県から上京しました。最初は事務所には内緒でした。でもマネジャーには打ち明けて、そのうち社長に言おうと思っていたんです。ある日、私のソロデビューの発表会を大々的に山口県でやることになったんです。地元の人は私に子供がいることは知っていましたから、怖くなってプロダクションに本当のことを言いました。そうしたら、1週間ぐらいスケジュールオフにしてくれて、子供に会いに行けるようにしてくれました」

事務所も協力してくれるようになった。それでも娘と離ればなれの暮らしはつらかった。

「上京してから3年間は涙、涙。寝てても涙。子供を預けて、遠く離れて仕事の日々でしたから。今みたいにスマホのある時代じゃないから、簡単に電話したり、映像を送ってもらえるわけじゃないですから。仕事から帰ってきて、疲れ果てて眠ってしまう毎日でしたが、本当に一瞬たりとも娘のことを忘れたことはなかった。引き取るまでに10年かかりました。事務所も3カ月に1度は、まとまった休みをくれました。仕事で近くに行った時も、一緒に遊んだりしてね。帰る時は、ボロボロになって泣きました。でも、娘の存在があったから頑張れました」

周囲の人の温かい支えがあったからこそ、娘と離れて暮らす寂しさを乗り越えられた。

「当時のマネジャーも、本当にいい人でした。最初は会社に言わず、マネジャーだけに言ってたからつらい思いもしたと思います。打ち明けたきっかけは、私が何をしても寂しそうな顔をしていたので『何なんだよ、何か悩みでもあるのか』って聞いてくれたんですよ。それで、黒木憲さんとマネジャーの2人には、言ったんです。黒木さんは『そうか、ナンシー頑張れよ』って励ましてくれた」

娘と離れて暮らしたつらい時期も、今となってはいい思い出。今は東京・杉並の西武新宿線・鷺ノ宮駅そばで経営するカラオケスナック「夢迷子」で一緒に店に出ることもある。

「人生100年時代、元気な限り頑張って行きます。大変ですけど、それだけ頑張れる曲に今、私は巡り会えたんだと思うと本当にうれしいですね」

迷わずに歌のみを突き進んでいく。【小谷野俊哉】

(終わり)

◆叶純子(かのう・じゅんこ)山口県萩市生まれ。山口県防府市で美容師見習い中、作曲界の鈴木純氏にスカウトされて上京。81年に故黒木憲さんと、黒木憲&NANCYで「粋な夜」を発売してデビュー。翌82年に「酔いどれ涙酒」でソロデビュー。1997年にフジテレビ系連続ドラマ「はるちゃん」の挿入歌「おまえさん」発売。19年にプロ麻雀士・灘麻太郎とのデュエット「あゝわっかない」発売。153センチ、84-60-88センチ。特技は洋裁、資格は美容師。