3世代のヒロインでリレーするNHK朝のテレビ小説「カムカムエヴリバディ」は、2人目るい(深津絵里)編も中盤に差しかかった。その命名のいきさつから、セリフでしばしば語られ、物語の行方にも関わる「ルイ・アームストロング」の存在感はますます大きくなっているように思う。

るいの回想で戦前の蓄音機から流れる「ひなたの道で=On the Sunny Side of the Street」は30年代の録音ということになるからアームストロングは30代だったはずだが、すでに演奏も歌声も「サッチモ節」として完成している。

るいとは不思議な縁があるトランペット奏者のジョー(オダギリジョー)が、情感たっぷりにこの曲を吹く60年代には、アームストロングは円熟の60代を迎え、文字通り世界中からリスペクトされる存在となっている。

71年に69歳で亡くなっているので、もちろん直接取材したことはないのだが、取材ノートには何度か彼の名前を書いたことがある。

ロビン・ウィリアムスの好演が記憶に残る88年公開の映画「グッドモーニング、ベトナム」では、代表曲「この素晴らしき世界=What a Wonderful World」が主題歌としてエンディングの感動を盛り上げた。

伝説の映画「真夏の夜のジャズ」が60年ぶりに4Kの鮮やかな映像になってリバイバル公開されたのは一昨年の8月だ。この映画の見どころの1つが後半に登場するアームストロングの曲間の語りで、マイルス・デイビスが評した「彼はしゃべりまでジャズになっている」を改めて実感した。

30年以上前の話になるが、「美空ひばり」(朝日文庫)の著者として知られたルポライターの竹中労さんにインタビューした際も、印象的なエピソードで彼の名前が出た。60年代にひばりの信頼がもっとも厚かった竹中さんは、実は64年のクリスマスイブにひばりと来日中のアームストロングの会食をセッティングしている。

ジャズを歌っても抜群にうまかったひばりの声をレコードで聞いたアームストロングは、その声量に大柄な女性を想像していたが、竹中さんから身長157センチと聞いて驚き、対面を心待ちにしていたという。約束の直前にひばりの弟が事件を起こし、残念ながらこの会食は流れてしまった。アームストロングはひばりに宛てて手紙と「ハロー・ドーリ-」のレコードを竹中さんに託し、日本を去ったそうだ。対面が実現したら、何を話しただろうか。ジャズの巨人と日本の女王のこの逸話に想像を巡らせたことを覚えている。

アームストロングの曲に思い出を重ねる人は少なくないと思うが、私の場合、その名前はかつて心躍らせたエピソードとともに取材メモに残っている。「カムカム-」で「ひなたの道で」を聞く度に、妙に胸が熱くなるのはストーリーの起伏のせいばかりではないと思っている。

劇中で、ジョーはるいのことをアームストロングの愛称で「サッチモちゃん」と呼んだ。このニックネームの由来は諸説あるが、歌手のエラ・フィッツジェラルドが彼の大きな口を見て「Such a mouth!」と叫んだことにあると言われている。【相原斎】