赤井英和(63)の俳優デビュー作となった1989年(平元)の映画「どついたるねん」と91年の映画「王手」の、主演映画2本の復活上映が7日、東京・池袋の新文芸坐で行われた。赤井の長男で、自身もプロボクサーの英五郎監督(27)が、プロボクサー・俳優である父の人生を描いたドキュメンタリー映画「AKAI」(9日公開)の公開を記念してのもので、赤井と阪本順治監督(63)がトークイベントを開いた。

赤井は「浪速のロッキー」の異名を持つ元プロボクサーで、80年のプロデビューから12連続KO(試合時間計72分)の日本タイ記録を持つ。ただ、85年2月の大和田正春戦に7回2分49秒KO負け。急性硬膜下血腫と脳挫傷で試合後、緊急の開頭手術を受け、死線をさまよった。「どついたるねん」は、赤井が87年に出版した同名の自伝を元に、阪本順治監督がフィクションとして脚本を書き、監督デビューを果たした。

赤井は「どついたるねん」を執筆した経緯について「3月14日に退院し、ボクシングが出来ないと。暇でしょうがない。『元気になりました』と、あいさつしている中で、浪速高の先輩の笑福亭鶴瓶さんに『お前の人生、面白いから本、書いてみたらどうや?』と言われ」と、笑福亭鶴瓶の助言がきっかけだったと明かした。その上で「私の本と映画と内容は違うんですけど…俳優デビューできました」と笑顔で振り返った。

一方、阪本監督は「架空の人物の、架空の話。キャラクターのちょっとした部分は、飲んで…」と、赤井の原作と本人と接した中で脚本を書いたと説明。その上で「企画が立ちあがるか分からないけれど、鶴瓶さんの事務所に電話して『赤井さんで映画を撮りたい…僕のデビュー作です』と。87年の暮れに赤井君と初めて会って…中身を決めていなかった。後に、難波のビアホールで会って」とした上で赤井との出会いについて語り出した。

阪本監督 赤井君は「申し訳ないんですけど、このシーン、いらない」と言う。そうしたら、自分のシーン以外、全部いらないと言う。(阪本監督が書いた脚本は)日本のボクシング界の裏側、フィリピンやタイのボクサーも出てきて、混沌(こんとん)としていたけれど…赤井君の言うとおり、赤井君を真っすぐ描くことにした。

赤井は、俳優初挑戦の撮影現場を振り返り「初めての演技で、カットを幾つも撮っても繋がりが分からないので、1シーン1カットでの撮影」と撮影手法を説明。その上で「だから膨大なせりふを覚え、早朝から深夜までの撮影。そこからせりふを覚え、また早朝から撮影。3月14日にアップしたら1週間、泥のように寝ましたね」と過酷だったと振り返った。

「どついたるねん」で国内の各映画賞で新人賞を受賞し、その後、俳優、バラエティータレントとして飛躍した。ただ、受賞したこと以上に「アフリカ行ったり、アラスカ行ったり、アマゾンの秘境を上っても全く、しんどいことがない。感謝しています」と「どついたるねん」の撮影を乗り越え、芸能界のどんな仕事でも対応できるタフネスがついたと感謝した。

阪本監督は、なぜプロボクサーを引退し、演技が素人だった赤井を主演に起用し、映画を撮ったかと聞かれると、冷静に、かつ力を込めて語った。

阪本監督 似たような人、いないと思うし…。ただ成功し、栄光を勝ち取って引退したボクサーなら、選んでいないと思うんですよ。彼は、相当なことを経て今、いるわけで…。でも、ある種、そういう悲哀みたいなものを普段、にじませない。そこが面白いというか、他に似ている人がいない。大阪人のユーモアと、背負ってきた人生が彼の中に染み付いたものがある。あとはリングに立っても、格好良いし…立ち姿…きれいだったもん。

この日は英五郎監督も客席で見守り、赤井に招かれて登壇し「AKAI」をPRした。