秋元康氏(64)が26日、TBS系「人生最高レストラン」(土曜午後11時30分)に出演し、自身の下積み時代を明かした。

高校2年生の時にラジオ放送作家となった秋元氏は「17歳で平家物語のパロディーをニッポン放送に送ったのがきっかけ」といい、「学校に行ったらみんなが『百恵ちゃんが~』と言っている時代に、僕は山口百恵さんのラジオ番組の台本を書いていた」と話した。

学校の授業中にも台本を書いていたと明かし「みんなが真面目に授業受けているときに、胚芽精米の魅力とか、奥さんの不倫とかを描いて。当時は1本5000円のギャラで月2万円もらっていた」と、レギュラー5本を担当した高校時代を振り返った。

その後テレビにも進出した秋元氏は「ザ・ベストテン」でも放送作家として活動。「一番下っ端の放送作家で、ハガキを読むと、視聴者が何に一番興味を持つかがわかった」という。

ヒット曲を数多く輩出する”秋元流ヒットの法則”は「『あの』がつくもの。奇をてらうと飽きられる。でもその中でスタンダードを作ること」と共演者をうならせた。

その上で美空ひばりさんの名曲「川の流れのように」について「僕は反対したけど、どうしてもシングルにしたいと。人生をかけて『あの、美空ひばりの最後の曲』と自分でひばりさんが作ったのはすごいこと」と話した。

番組ラスト「オーナー加藤浩次のここだけの話BAR」では、人の作った歌詞で唸ったものを「尾崎豊が好きですね。テクニック論じゃない、魂の叫び。僕には書けない」と絶賛した。