映画「夜、鳥たちが啼く」で主演を務めた山田裕貴(32)と、同作を手がけた城定秀夫監督(47)がこのほど、対談を行った。撮影現場ではそこまで深く話し合わなかったという2人が、改めてお互いの印象、作品への思いを口にした。

ドラマに映画に引っ張りだこな人気俳優の山田と、ビデオ専用映画・ピンク映画界のトップランナーにして、「アルプススタンドのはしの方」「女子高生に殺されたい」などで評価の高い気鋭の城定監督が初タッグを組んだ同作。「今できる最強ができた」と言い切るほど山田は自信作となり、城定監督も「自分の中で、何かが変わった」と感じるほど印象深いものとなったという。全4回に分けて、対談を届ける。(3回目)【佐藤成】

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-作品に込めたメッセージがあれば教えて下さい。

山田 まずそれは(役柄の)慎一もだけど、気持ちがわかるなと思ったんですよ。なんて言ったらいいんだろうな…要は「本当にバカになればいいんじゃない?」って。「3人が幸せなら良くない?」っていう。別に人に迷惑かけているわけではないし、3人でいるってことは。今は周りにいる人に言われる世の中じゃないですか、とにかく。「あれおかしくない?」とか「これ違くない?」「これは合ってる」「合っていない」って。何を見たんだって思うんです。「何を知ってんの?」って僕は思うんです。そこに対して僕ものすごくおかしいと思っていて。知りもしないのにしゃべったことのない人たちが、当事者のことを言うのって本当におかしいなと思って。だから絶対に自分がもしそうなったときに絶対に言わないようにしようって決めていて。その人にしかわからないからっていう。そういう人たちが増えたらいいなっていう。で、そこに対して生きづらいって思っている人たちが見たときに「生きていていいんだ」とか、「このままでいいんだ」って思えたらいいなっていう映画。たぶん吐き出したかったんですよ、きっと。慎一は1回、日の目を見たけど、そっからダメで、どうしようってずっと思ってたと思うんですよ。でも前の彼女がいて、仲がいい時期もあるわけだから「わかってくれるよね?」っていうふうに思うわけで。でも、あれこれ言われていくうちに「俺1人にするのか」っていうたぶん思いだったと思うんですよね。「俺どうすればいいの?」「どうやって生きていけばいいの」って思っちゃう人っていっぱいいると思うし、それは男女関係なく。慎一と裕子の場合、アキラという存在が2人をつないでくれて成り立ってる。別に間に誰かがいなくても、何かつながりが、そういう新たなつながりがあるかも知れないから、そういう人たちにもメッセージになるような映画になればいいなっていう思いでやってたし、見ても改めてそうなればいいなって思ってます。

城定監督 僕はあんまりその辺(メッセージ)を言葉としては用意しないというか、昨日もちょっとシネクイント(のイベント)で、Q&Aみたいなのがあって「あの2人は幸せになれると思いますか?」みたいな。本当に僕はわからないとしか言いようがない。そういう感情移入に関しても、すごくわかるっていう人とわからないっていう人もいる。全然それはどういう見方でもいいと思っていて、そこにいる人をただ見つめるだけっていうのでも、映画っていうのはそういう面白さっていうのもあると思っていて、そういう多角的な見方をしてほしいなって思いますけどね。あとだからその幸せなのか幸せじゃないのかっていうのを、あれがハッピーエンドかどうかっていうのも全然映画としてどう取ってもらっても構いません。あれが小説の中なのか、本当に起きてないとか、そういう解釈もあるし、でも2人が今後どうなるかわからないけどって言ってるじゃないですか。でもまあいいじゃないかと。ピザもおいしい花火もキレイだと。でもそんなものはもう忘れちゃって、うどん食いたいっていうのが人間だし、それでも思い出として残るし、慎一はそれを小説に書いて出すという仕事を持っているし、それがあれば、今後やっていけるかもしれないみたいな希望かもしれないし、まあそうじゃないかもしれない。

山田 全ての瞬間はどうせ過ぎていくものだから、もう書く材料としか思えなかったから、(原作者の佐藤泰志さんが)こういう作品を書いたかもしれない。今僕自身がそうなんですよね。おいしいもの食べても、「これ今この一瞬で終わるよな」って思いながら食べてるんですよ。頑張って背伸びして何か買ってみようと思って買ってみたとしても、「また明日普通に頑張らなきゃいけないよな」って。ただただそう思うだけの日常というか、そういう連続が続いていくから、それに意味とかない。

-それは日々に絶望するわけではないのか?

山田 無。その瞬間は楽しいけど、もう過ぎちゃえば終わった話だから。もうそっからは無です。次の瞬間が訪れているので。思い出にはなってますけど。

城定監督 でもそのために生きてるみたいなところはあるんですよね。だから結局それで、やっぱりそこで、他人との触れ合いっていうのがないと人間はちょっとやっぱり良くも悪くもまともではなくなっていく。おそらく慎一は私小説を書いてるわけだから、自分のことを書く、自分のことを突き詰めていくと、最終的にわかんないところにいくんですよ、たぶん。「私はなぜ私なのか」みたいな問題になってきちゃうんですよね。それをふっとなんか外に向けて、目を向けられるようになったのかな、みたいな。それがだから良いも悪いもないのかもしれない。それが幸せなのかどうなのかはわからない。

山田 いま笑っているよねっていうただそれだけみたいな。

城定監督 ただ「こいつら絶対うまくいかないよ」っていうのはちょっと独善的だなって思う。

山田 それは僕も違うと思う。わかんない。やってみないとわかんない。だから次の瞬間を生きるだけ。

城定監督 だから次の瞬間に別のような人間になることもあると思いますよ。

-劇中では、山田と松本まりかのラブシーンもある。山田は、ラブシーンをみることが苦手だったというが、今回の作品を通してラブシーンの意味を理解できるようになったという。

山田 純粋に自分が見る側としても、ベッドシーンがあるものは苦手で…

城定監督 最初に言われてドキッとしました(笑い)。

山田 別にそれが嫌いってことじゃなくて、何だろうか、それを見て何を思えばいいかわからなくて。でも後からちゃんとこの作品をみて気づくんですよ。この映画にはものすごく重要だったんだっていう。そこが一番重要な作品。重要というか、その2人がつながれる部分がそういうもので、本当にかすかに手を取り合った、指が引っかかったみたいな、そのぐらいのつながりなんだけど、そこが一番重要だっていうのがわかって、この作品には重要なんだなっていうのを思ったんですけど、単純に僕があんまりそういうの見てこなかったんだと思いました。

城定監督 最初(山田に)「ぬれ場を見ると何でいる(必要)んだろうって思っちゃうんですよ」と言われて、ちょっと僕そういうのいっぱい撮ってきたんですよねって思いながら、「でもやるのは大丈夫なんですよ」みたいな感じでした。

山田 そこにどういうメッセージがあるのかをつかんでこなかったんですよね。

城定監督 僕もそんなに別にそこに思いを込めてというあれでもないですけど、何かが出ますよね、やっぱり。それこそ手取り足取り演出できないパートの割と最たるもの。

山田 お芝居じゃない瞬間が出るっていうことなんですよね。

城定監督 もちろん「こうして」「こうして」「カメラあっちなので」っていうのはあるんですけど、どうしても出ますよね。だから逆にいうと恥ずかしいだろうし。

山田 僕自身がやる分には全然平気なんです。でもなんか見てると何がいいたいんだって思っちゃう。

城定監督 難しいですよね。もちろんいわゆる見せ物として、ポルノとしての意味合いも僕はそういうのを撮っていたので、そこは否定しないですし、いろいろありますよね。

山田 否定してるわけじゃなくて、たぶん自分がつかめてなかったんだと思います。(ラブシーンへの印象が)全然変わりましたね。これには必要だなって思う作品もあれば、本当にいるのかなって思っちゃう作品もあるなって思いましたね。案外結構ちゃんとカメラこっちから来てるからこういうふうに見えるようにとかっていう、結構頭を使ってやらなきゃいけないんですよね。

城定監督 さっき自由っていったけど、そうじゃない部分もある。ただ今回あんまりキレイにみせるっていうのじゃなかったから、ただ2人の危うさをみせるあれだったから、そんなには。キレイに撮るってなったらアクションと同じで大変ですよね。何の意味があるんだろうっていうのは、本当にたくさん撮っていますけど、そのぬれ場ごとでテーマというか、言いたいことは違いますね。単純にポルノとして見せるのもあれば、その関係を表したいのもあるし。

(4回目に続く)