小さな変化が、世界を変える-。1月、タレント関根勤(69)を取材した。

関根が会見室に入ってくるなり「バッハ会長と同じ年齢です」と、いきなり国際オリンピック委員会会長の名前を引用してボケ発動。報道陣を一瞬にして、リラックスムードに変えてみせた。

19日に開催された「華大・関根が後輩達を見てニコニコするライブ~浅井企画のイチオシ芸人と吉本モノマネ軍団が来るの巻~」(ルミネtheよしもと)の事前取材で、エピソードがふんだんに織り込まれた爆笑トークを聞かせていただいた。

中でも印象に残ったのが、ピン芸人のハリウッドザコシショウ(48)について言及した部分だった。テンガロンハットに黒いパンツ一丁がトレードマーク。「誇張しすぎた○○」と称し、原形をとどめないモノマネなどで知られ「R-1ぐらんぷり2016」で優勝を果たした。そのザコシシヨウがブレークするきっかけとなったのが、パンツの色の変更だという。関根は語気を強めながら、解説してくれた。

関根 最初、ザコシショウは白いブリーフを履いていたんですよ。白いブリーフは女性から見たら、不潔な下着姿で出てくる変な人ってなっちゃう。あれを黒いパンツにしたんですよね。黒いパンツっていうのは、プロレスラーで言えば正装ですから。タキシードと同じですよ。正装してバカなことやるから笑える。

黒いパンツといえば、アントニオ猪木の代名詞として知られ、ストロングスタイルの象徴でもある。長州力や藤波辰爾ら新日本プロレスの歴代レスラーも愛用してきた。

関根 女性は「黒いパンツで来た人? 何か見よう」ってなる。白いブリーフを着てたら、女性は見たくないんですよ。「あ、気持ち悪い!」って最初からシャットアウトしちゃう。そういう意味では黒いパンツに変えただけで、あれだけのスターになっちゃう。そういうもんなんですよね。

変化する意味を、関根自身が身をもって体感していた。デビュー当初は芸名の「ラビット関根」だった。

関根 名前って大事なんですよ。僕は「ラビット関根」っていう名前で出たものですから。芸名がどういう影響を与えるか身をもって経験している。僕の「ラビット関根」という名前は特異でしたよね。動物と名字がくっついてるんですよ。それだけでも違和感があるのに。「カックラキン大放送!!」(1975~1986年、日本テレビ)で、カマキリ拳法の使い手として、殺し屋をやっていたんですよ。「ラビット関根」という特異な名前のやつが、カマキリ拳法の使い手で殺し屋。これは本当に違和感があるんですよね。

本名の「関根勤」に戻してから、追い風が吹き始めた。きっかけは恩師の助言だった。

関根 「欽どこ」(「欽ちゃんのどこまでやるの!」=1976~1986年、テレビ朝日)に出て、一番下のクロ子役ですよ。名前も萩本さんにやめろって言われて「関根勤」。区役所の戸籍受付の人みたいな名前ですよ。普通の名前でクロ子をやっている人間っていうだけで、全然世間の見る目が違う。「ラビット関根」をやめてからですから、芸能生活が少しずつ動き始めたのは。「ラビット関根」のままだったら、「笑っていいとも!」(1982~2014年3月、フジテレビ)に出られなかった。

「生き馬の目を抜く」と言われる芸能界で生き残っていくには、変化をいとわず、順応していかなければならないと強く感じた。【高橋洋平】