女優香川京子(91)が5日、東京・角川シネマ有楽町で開催中の「大映4K映画祭」の「近松物語」4K上映 after トークイベントに出席した。

1954年(昭29)に公開された「近松物語」は、「西鶴一代女」でベネチア国際映画祭国際賞を受賞した溝口健二監督の作品。田中は同年の同映画祭で銀獅子賞に輝いた「山椒大夫」で溝口作品初出演を果たしている。

「近松-」は近松門左衛門の人形浄瑠璃の「大経師昔暦」をもとに作家川口松太郎氏が書いた戯曲が原作。京の大教師家の手代・茂兵衛(長谷川一夫)と、当代の後妻おさん(香川)の道ならぬ悲恋を描いた。

香川は「『近松物語』は私の長い女優生活で、一番印象に残っている作品です。最初は(使用人の)お玉という役のはずだったんです。ところが、『山椒大夫』に出演させていただいて、ベネチア映画祭から帰ってきたら、大映の永田雅一社長さんが飛行場に迎えに来てくれて『君が、おさんをやることになった』とおしゃって」と振り返った。

1週間後に京都で撮影が始まった。当時、22歳の香川は関西の言葉も、引きずるような着物の衣装も初めてだった。

「人妻も初めてで、何も分からなくてどうしようかと思いました。(出演者でもあった)浪花千栄子さんが、京都言葉の指導で毎日、撮影所に来られていました。嵐山に旅館を作られていて開業前だったのですが、押しかけて行って泊まって、あれこれ教えてもらいました」と振り返った。

「溝口監督は、俳優に対して演技指導ということを、一切なさらないんです。セットに入ると『じゃあ、やってみて』と言って、それを見てからカメラ位置を決めてセットするんです。何も分からず、どこに座っていいかも分からなかったので、全て浪花さんにすがって、どうにか出来ました。この間、DVDで見て『こんなドラマの映画だったのか』と思いました。当時は、その日の撮影のことしか考えられませんでしたから」と振り返った。

溝口監督は「反射」という言葉を使った。香川は「芝居というのは相手の言葉や動きに反射して出て来る。俳優っていうのは、セットに入った時に、その気持ちになれば自然に動けるはずだ、と。『反射してください』と、いつも言われていました。芝居の根本。それを溝口監督に教えていただきました、ありがたかった」と感謝の言葉を口にした。

相手役の長谷川一夫は、84年に76歳で亡くなった時に国民栄誉賞が贈られた、20歳以上も年上の大スター。香川は「京都の大映の時代劇作品が多くて、捕物帳とか娯楽作品でご一緒させてもらいました。とっても優しい方で、私は色気がないと言われ続けてたんだけど『ちょっとこういう風に手をした方がいいよ』と教えていただきました。おさんが茂兵衛にすがるのも、長谷川さんが自然に受けていただいて、ありがたかったですね」。

長谷川との初共演は、52年の映画「勘太郎月夜」だった。「地方のロケで、神社の境内の中でお芝居だったんです。当時、私はわりと背が高くて、日本髪結うとまた高くなる。長谷川さんは、それほど高くなかったので、私の足元を少し掘りました。スターってこういうものなんだと感じました。本当に優しい人でした」と話した。

49年に新東宝に入社して女優デビューした香川だが、53年にフリーになっていた。「大映の永田社長は、とっても優しい方でした。帝国ホテルでごちそうになって『大映の専属になりませんか』という話をいただきました。少し考えて、やっぱり私、ずっとフリーでいたので、申し訳ないけどとお断りしました。テレビにも出られますから」。

映画大手は他社への出演を禁じる5社協定を53年に結んでいた。松竹で小津安二郎作品、大映で溝口作品、東宝で黒沢明作品と、名だたる巨匠の作品に出演した香川は「やっぱりフリーがいいわね」と笑顔を見せた。

そして「こんなに長く、お仕事させていただいたのをありがたく思います。大映の方にも本当にお世話になりました。嫌なこと何一つない、感謝の気持ちでいっぱいです。皆さんもお元気でお過ごしください。ありがとうございます」と締めくくった。