「漫画トリオ」やテレビ・ラジオの司会者として一時代を築いた元タレント、上岡龍太郎さんが5月19日に大阪府内の病院で、肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていた。00年に芸能界引退後の窓口となっていた米朝事務所が2日、発表した。81歳。

本人の意向もあって、ごく限られた身内での密葬は既に行われた。お別れの会なども本人が固辞していたという。

   ◇   ◇   ◇

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流」。司会を務めるテレビやラジオ番組で、上岡さんが冒頭に語っていたキャッチフレーズ。その言葉どおり、芸人としての腕は誰にもマネのできない領域にあった。

ラジオ番組に寄せられたリスナーからのはがきは下読みすることなく、立て板に水のごとく読み上げた。番組収録では、テレビ局スタッフに「打ち合わせをしますので、こちらへ」と促されても「台本はもう頭に入ってます。打ち合わせの必要はありません」と軽く拒否した。

若い頃から読書を好み、記憶力は抜群。社会や常識には鋭い批判を繰り返した。その代表的な例が「鶴瓶上岡パペポTV」(読売テレビで1987年4月~98年3月)。出演者は笑福亭鶴瓶と上岡さんの2人だけ。事前の打ち合わせはなく、スタジオで初めて対面、フリートークが延々と展開される。

時に鶴瓶と正面から議論したり、ジョークまじりでいなしたり。スタジオ見学にきていたファンは爆笑の連続だった。パペポ人気が爆発して、1万人のファンを集めて大阪城ホールで公開収録したこともあった。

上岡さんを取材する現場では独特の緊張感があった。記者に対しても遠慮せず、言いたいことを言う。

いきなり「●●新聞の記者、いてるか? こないだの記事は間違っているやないか! あんな発言はしていない!」と目をつりあげ、怒りを見せた。

生放送のテレビ番組では、いい感じでトークを続けている途中、強引にCMに入ろうとしたフロアディレクターに激怒、番組内で説教することもあった。

人気番組「探偵!ナイトスクープ」で探偵局長を務めていた際は、オカルト・心霊現象を紹介する内容に激怒、収録途中でスタジオから出ていった。

旧友の横山ノックさんが大阪府知事を務めていた当時。ノックさんへの応援コメントを取ろうとある記者が上岡さんを直撃した。この時「府知事はノックさんに任せて、わたしは大阪市長選に出る」と答えた。

予想外の展開に、その新聞社は翌日「上岡、市長選出馬」と報じたが、これは上岡流のシャレ。次の日には「選挙? 出ませんよ。芸人の言うことをいちいち信じていて、どないするねん」と笑っていた。

趣味のマラソンが高じて、ハワイ・マウイマラソンのスポンサーを務めていたこともあった。マラソンでの上岡さんは、芸人としての毒をまるで見せない。日本から駆けつけた参加者、地元のランナーをおおいに盛り上げ、走ることを心から楽しんだ。

記者は一度、マウイマラソンを走る機会に恵まれ、上岡さんとと15キロあたりまで並走した。練習不足の記者が「上岡さん、僕はもうついていけません。ここからはマイペースで行きます」と声をかけると「そうか。無理するなよ」と笑顔で応じてくれた。

その表情は毒舌で鳴らす芸人でなく、マラソン好きのおじさんだった。

インテリで読者家で話術は抜群。一方で、一度キレてしまったら誰も止められない激情家。すべてを含めて、最後の「芸人らしい芸人」だった。【元芸能担当・三宅敏】