11月30日。このコラムを書いている日は、日本が世界に誇るメタルバンド「LOUDNESS」のドラマーだった樋口宗孝さんの命日だ。

中学時代にドラムを始めたおじさん記者にとって、樋口さんは神のような存在だった。大学時代、目黒のライブハウス鹿鳴館に先輩バンドが出演した際、黒い皮のロングコートにサングラス姿の樋口さんが観覧。楽屋にあいさつに行くと、こっぴどくダメ出しをされた後で、お通夜状態だったことを今でも覚えている。

そんな樋口さんが在籍するLOUDNESSを初めて取材したのは2000年。オリジナルメンバーで再集結した時だった。“神”のような存在の取材はド緊張だった。普段は絶対やらないが、この時はメンバーと写真を撮らせてもらった。その後、とある飲み屋が樋口さんの行きつけだったらしく、樋口さんが「この前取材してくれた記者がLOUDNESSのファンだった。ありがたいことや」と話していたことを聞いた。

オリジナルメンバー再集結2枚目のアルバム「PANDEMONIUM~降臨幻術~」のレコーディング取材のため、山梨・小淵沢を訪れた。この時、樋口さんから「自分、ゴルフする? 今日泊まって、明日ゴルフせえへん?」と誘われた。これをきっかけに樋口さんとの付き合いが始まった。

取材でリハーサルスタジオを訪れた際、「今たたけば、メンバーがやってくれるで!」とスティックを差し出された。だが、ドラムを離れ10年近くたっていたおじさん記者には、あまりにも恐れ多く、結局たたくことができなかった。今では少し後悔しているが、今でも多分たたけないだろう。

一緒に飲むと、毎回酒の入ったグラスを並べ、割り箸で8ビートをたたかされた。リズムが狂うと「ちゃう! あかんな君~」と割り箸でピシャリ。

そんな樋口さんに08年、肝細胞がんが発覚。病気発覚後は2度、電話で話した。1回は入院の際で、当時乗っていたBMWを「手放なさなあかんな」とポツリ。もう1度は病状の判明時で、「肝臓移植しないと生きられないらしい。しかも日本ではできないらしい。金かかるわ」。そんな内容だったが、これが直接話した最後の会話となった。

その後、メールでお見舞いを申し出るも「体調が悪い」の連続だった。おそらく、弱っている姿を見せたくなかったのだろう。

樋口さんのローディーを務めたドラマーは漏れなくプロになっている。山下昌良はそう話していた。おじさん記者から見た樋口さんはアニキ肌だ。大学時代に見た、先輩バンドへのダメ出しも“愛のムチ”だったはず。なお、そのバンドも後にメジャーデビューしている。その当時は分からなかったが、後に樋口さんの後輩に対する大いなる愛をあちこちで感じた。

樋口さんが亡くなって17年。この日のX(旧ツイッター)には、樋口さんを悼む投稿が数多く見られた。樋口さんを神とあがめ、幸運にも交流を持たせてもらった1人として、このコラムが皆さんにとっても、樋口さんをしのぶものになることを願う。【川田和博】