覚せい剤取締法違反(所持)で、2010年(平22)5月に懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を受けた元JAYWALKのボーカル、中村耕一が、62回目の誕生日の今日15日、名古屋クラブダイアモンドホールで、ソロ歌手として復帰ライブを行う。17日には東京・渋谷でもライブを開催し、27日にソロアルバム「かけがえのないもの」をリリース。出直しを前に、日刊スポーツに反省の日々を語り、再起を誓った。

 都内のスタジオで中村は、まず感謝の言葉を並べた。「音楽をやめるつもりだった僕の背中を、ここまで押してくれたのは家族、被災者の方々、今回のプロデュースをしてくれた三宅伸治さん(51)たち。おかげで、人生が変わりました」。肩を小さくすぼめて座り、瞳は潤んでいた。

 罪の意識から、10年5月12日の判決後、1年は家にこもり、主夫生活だった。「スーパーに行くだけでも気が引けましたし、ほかの仕事も見つけられず、悶々(もんもん)としていました」。逮捕から1年後の11年3月10日に、約30年間在籍したJAYWALKを脱退。翌日に東日本大震災が起きた。タレントで10年以上も事実婚だった矢野きよ実(50)の付き添いで、翌4月から被災地へボランティアへ。多くの児童が津波で犠牲者になった宮城県石巻市立大川小の被災者が避難した飯野川中で、炊き出しをしている時だった。

 「マスクと頭のてぬぐいで隠していたのに、僕だと気付かれました。本当に悲惨な状況の方々なのに『私たちも頑張るから、あなたも頑張りなさい』と励まされて、いい意味で重い、重い言葉でした…」

 音楽のある場所には行ってはいけないと自制していたが、同じころ、矢野に半ば無理やりに三宅のライブに連れて行かれた。「悔しさも含め、圧倒されました」。歌手としての生きがいを見つめ直した。同年夏の石巻での復興イベントからオファーを受けて、出演。JAYWALKを去り、持ち歌はなかったが、「三宅さんが復興ソングとして作り、歌っていた『生きよう』をお借りして、歌いました」。暗闇の中に光が差した瞬間だった。

 執行猶予明け前の復帰については、同じ罪を犯した酒井法子(42)を連想させながら話した。「執行猶予明けを目安にする方もおられましたが、僕は懲役2年の実刑のつもりで、2年間は一切、音楽に手を出しませんでした。そこが明けてから、三宅さんのライブにゲストで呼んでもらうようになりました」。昨夏には、曲作りを始め、アルバムが完成。三宅に復帰ライブも用意してもらった。

 再犯の可能性も含めて、世間の目が厳しいことは、承知している。「僕には家族がいました。『お父さんを守る』と言ってくれた息子(17)。長年築いてきた仕事を僕が壊してしまったのに、今も僕のそばでマネジメントまでしてくれている彼女(矢野)。もし再犯したら…、簡単に想像できますよね」。

 アルバム名は「かけがえのないもの」。人の優しさという宝物を持つ中村は、2度と過ちは繰り返さないと固い決意を携えて、スポットライトの当たる場所にまた帰ってくる。【瀬津真也】

 ◆事件メモ

 10年3月9日午前0時半ごろ、中村が東京・西麻布の路上の車内で1人でいたところを警察官から職務質問される。警察官が助手席のフロアマットの下にあった小物入れから約0・9グラム(袋込み)の覚せい剤を発見。中村は「歯医者からもらった薬」と説明したが、その場の簡易検査で覚せい剤と確認され、容疑を認めたため現行犯逮捕された。中村と事実婚の矢野は同19日、名古屋市内で会見して謝罪。出演番組の出演を自粛したが、後に復帰し、タレント活動も続けている。