松山聖陵(愛媛)の甲子園初勝利はならなかった。終盤3点差まで詰め寄ったが近江(滋賀)に敗れた。

 敗戦の中でキラリと輝いたのが2番手で登板した珍名くん、隅田寛輝之亮(すみだ・かきのすけ)投手(3年)。先発したエース土居豪人投手(3年)が6回2死一、二塁、カウント1ボールで降板。隅田は2球ボールが続きカウント3-0になったがその後フルカウントまで持ち直し最後はスライダーで空振り三振に仕留めた。7回も続投。先頭打者に二塁打されたが無失点に抑えた。1回1/3を投げ1安打無失点と中継ぎの役割を果たした。

 「緊張しましたが流れを止めたいと思って投げました。土居には『オレが守ったる』と言いました」。

 当初はベンチ外だったが沖縄での練習試合で結果を残し「最後の最後で」(隅田)背番号15を勝ち取った。「決め球はスライダー。同じ横手投げのヤクルト秋吉投手を参考に曲がりを小さく鋭くした」という。そのスライダーが甲子園の舞台で威力を発揮した。

 「寛輝之亮」という珍しい名前は両親が名付けてくれた。「寛」は寛大な人間に、「輝」は輝いて欲しい、「之亮」は海外でも日本人と認識してもらえるようにという願いが込められている。

 白星をつかむことはできなかったが、両親の願い通り甲子園のマウンドで輝くことはできた。

 「親に感謝しています。夏までにもっとコントロールを磨きたい」。珍名くんはちょっぴりはにかみながら甲子園を後にした。