京都大学吉田寮の旧棟は築106年。現役の学生寮としては最古といわれている。

今世紀に入ってから老朽化問題を巡って大学と寮生の間に対立が生まれ、昨年4月には寮の明け渡しを求めて大学が寮生を提訴する事態になっている。

寮生たちはなぜそこまで吉田寮にこだわるのか。基本理念に「対話の精神」を掲げる京大が、話し合いを求める学生たちを相手になぜ訴訟まで起こさなくてはならないのか。

「ジョゼと虎と魚たち」(03年)やNHKテレビ小説「カーネーション」(11年)で知られる脚本家の渡辺あやさんが、この問題をモデルに書き下ろしたのが「ワンダーウォール 劇場版」(10日公開、前田悠希監督)。NHK京都放送局が制作し、18年に放送されたドラマに未公開カットを付け加えた作品だ。

「あいのり」「テラスハウス」…若者たちの共同生活を題材としたリアリティー番組の人気は根強い。ネット世代の視聴者にも共同生活への漠然とした憧れはあるのだろう。だが、吉田寮を摸した「近衛寮」で繰り広げられるのは現代のデリケートな若者たちには、とても耐えられそうにない無秩序な集団生活だ。共同スペースと個人領域の境目はなく、雑魚寝が基本だ。だが、その雰囲気は不思議に懐かしく、暮らしぶりは文字どおりワンダーに満ちている。

吉田寮には個性派同士が一緒に暮らすための、長年の伝統に磨き抜かれた「秩序」が存在する。公平な議論を期すために敬語は禁止、誰ともタメ口で話す。寮運営に関しては自治会総会で話し合い、全会一致で決める。多数決ではないのだ。

大学側との対立を軸に進むドラマのなかで、一見めんどくさそうな学生間のやりとりは、多少の時間を要しながら意外と妥当な結論へと進んでいく。

大学側の職員であり、大学のOBでもあり、ある寮生の姉という複雑な立場で物語のカギを握る役にふんするのが成海璃子。やむにやまれず土地の有効利用に踏み切る大学側の立場を理解しながらも、寮生たちが守りたい寮の中にこそ「今一番たいせつな何か」がある。彼女のセリフはこの問題の根幹を示唆する。

オーディションから参加した須藤蓮、岡山天音、三村和敬、中崎敏、若葉竜也らの寮生たちの粗削りな演技が気持ちいい。みずみずしい。すでにかなりのキャリアを積んでいたはずの成海も違和感なく若く見える。キャストの新鮮さはドキュメンタリーのような味わいを醸し出す。実際の吉田寮にうり二つのセットやロケ先の雰囲気がひと役買う。

106年の歴史をひもとくと改めて神妙な気持ちにさせられる。20世紀初めのスペインかぜの大流行ではさまざまな対策を率先して行い、寮生の半数に当たる62人が感染しながら死者は出さなかった。戦中戦後を通して独自の姿勢を保ち、戦後学生運動後期の「内ゲバ時代」でもセクト間の暴力は寮内には決して持ち込まなかったそうだ。

ため口や全会一致の法則だけに限らず、この寮には106年存続するだけの何かがある。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)