作家の池井戸潤氏(57)が、大ヒットシリーズ「半沢直樹」6年ぶりの新作「半沢直樹 アルルカンと道化師」(講談社)を書き下ろした。新作に込めた思い、TBS系で7年ぶりに放送中のドラマ、コロナ禍に揺れる日本経済…池井戸氏が今、思うところを存分に語った。

★人気の理由

「半沢直樹 アルルカンと道化師」では、04年の第1作「オレたちバブル入行組」以前の、東京中央銀行大阪西支店融資課長時代の半沢が描かれている。TBS系で放送中の、続編のドラマ5話以降の原作「銀翼のイカロス」(14年)は、半沢が航空会社の再建を巡り政府と戦う物語だが、スケールを大きくしすぎたという反省があった。半沢が生き生きと活躍できる日常を描くことが動機だった。

「今の半沢の肩書は本店営業第2部次長です。自然と扱う案件も大きくなってしまうので、もう少し身近で卑近な戦いを描こうと思いました」

美術系出版社「仙波工藝社」に、某企業による企業買収(M&A)話が持ち上がる。

「ある画集に載っていたアンドレ・ドランの「アルルカンとピエロ」という絵を見た時に、『ペテン師と詐欺師』というミュージカルが頭に思い浮かび、この絵をモチーフにしたミステリーが出来ないかなと思ったんです」

当初は別の物語を書いていたが、書き直した。

「(半沢の同期の)渡真利忍が主人公のスピンオフを書こうとしたのですが、納得するレベルに達しなかったためボツにして、主人公を半沢直樹に変えて書き直しました。さらに掘り下げ、エピソードを追加したのが本作です」

「半沢直樹」をシリーズ化するつもりはなかった。

「ここまで人気が出るとは予想外でした。銀行員が女っ気もなく活躍する話なんて受けるわけがないと思っていましたしね」

人気の理由を分析した。

「エンターテインメントとしての『半沢直樹』は、単純明快で分かりやすい構造になっていると思います。小説で言うと、小学生から80代のおばあさんまで読めて楽しめる。ドラマで言うと、家族全員で見ることができる。最近、そういうドラマは少なくなってきているので、そこが良いのかも知れませんね」

半沢直樹は自身の中でどういう存在なのだろうか。

「書きやすい登場人物の1人です。正義ではあるかも知れないけれど、ちょっとダークなところもある。相手をやっつけるために周到に動くじゃないですか。あまり真っ白な人ではないところが気に入っています。書いていて面白いキャラクターです」

小説を書く際、自らに課しているルールがある。

「新しいこと、他の作家には書けないオリジナリティー、豊穣(ほうじょう)な物語になるという3つのルールを定めています。ルールに基づいてテーマを練り、あとは納得するまで、何度でも書き直します」

特に気を付けているのは、登場人物の動き方だ。

「小説作法の基本中の基本だと思います。小説にとって一番大きい傷はキャラクターの破綻です。先にプロット(あらすじ)を書いて、その通りに動かそうとしてキャラクターが破綻するケース。このキャラクターが、この場面で、こんなことするはずがないと読者に思われるとアウトです。読者がどうなるんだろう、と思う場面は、作者自身も悩んで納得できる答えを見つけていく必要がある。そこから逃げたら、小説は書けません。作者が一番、書くのに困った場面が、読者にとって一番、面白い場面になると思います」

★ドラマは別

13年7月期にTBS系で放送されたドラマ第1弾の最終話が、平成のドラマ最高視聴率42・2%を記録した。それから7年。放送中の続編も好調だ。8月16日放送の第5話は、令和に放送されたドラマ最高の25・5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。支持される理由を聞いた。

「役者さんたちの演技力のたまものでしょうね。“顔芸”の効果もあるかも知れませんが、演出がはまった感じがします。香川照之さん、片岡愛之助さんや市川猿之助さんの演技も、歌舞伎でも見ているような雰囲気で、家族で楽しめますし」

原作とドラマは別ものだと考えている。

「ドラマは、原作者のものではありません。映像化の際は自由にやっていいから、と伝えています。制作サイドから相談があれば答えますが、キャストを含めて一切口出しはしません」

ドラマは、放送の度に一般紙までが内容に突っ込むニュースを出すほどの反響だ。第3話で、東京セントラル証券に証券取引等監視委員会が立ち入り検査した際、半沢がデータ消去に及んだ行為が金融取引法の検査忌避罪に当たると指摘するニュースまで流れた。

「現実とフィクションの差が、分かっていないのかも知れません。隠すのは、もちろん違法ですが、銀行が検査官が来る前に隠すことはあったでしょう。それよりも、違法だからおかしいと言う方に、違和感を感じます。現実を知らないのではないでしょうか」

コロナ禍で国内総生産(GDP)が27%減の日本。半沢直樹なら、どう動くだろうか?

「相当なダメージを受け、それに耐えうる猶予は何カ月もないはずです。銀行も与信判断しろと言われたところで先が見えない。赤字の会社が半年後、黒字になる保証はどこもなく、担保の範囲内か、よほど確実な返済原資がある以外は、お金を貸せないでしょう。半沢直樹も、どうしようもないと思いますよ」

今後「半沢直樹」と池井戸潤はどこに向かうのか。

「サラリーマン小説は(主人公が)ちっぽけな存在で、相手が大きいから面白いと思っています。半沢は課長や次長という立場で戦っているのが一番、面白いんじゃないですかね。次は『民王2』を書くつもりです。書きたいものを見つめ直して考えながら、1冊ずつ積み重ねていくしかないんです」

「倍返し」ではなく、1冊ずつ…池井戸潤は世に楽しみと活力を送り続ける。【村上幸将】

▼「半沢直樹 アルルカンと道化師」の美術監修を担当した、東京国立近代美術館の保坂健二朗主任研究員(44)

絵画をはじめとする美術作品の「価値」の決定システムというのは極めて謎めいていると多くの経済学者が語っています。そんな美術作品の「価値」を巡って、あの半沢が奮闘するというのが今回の池井戸さんの新作。美術業界のことを、あまり知らない人は「へーそうなんだ」と思い、そこそこ知っている人は「あり得なくない?」とちょっとせせら笑うかも。そして業界のことを深く考えようとしている人は「あり得ないと思えてしまうのはなぜだ?」と深読みできる。エンタメ性ばっちりなのにリトマス試験紙のようにも働く、すごい小説です。

◆池井戸潤(いけいど・じゅん)

1963年(昭38)岐阜県生まれ。慶大卒。98年「果つる底なき」で江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。10年「鉄の骨」で吉川英治文学新人賞、11年「下町ロケット」で直木賞を受賞。主な著書に「下町ロケット」シリーズ、「花咲舞」シリーズ、「空飛ぶタイヤ」「ルーズヴェルト・ゲーム」「七つの会議」「陸王」「民王」「アキラとあきら」「ノーサイド・ゲーム」などがある。

◆「半沢直樹」シリーズ

半沢直樹が銀行内外の敵と戦い数々の不正を暴く、痛快エンターテインメント小説。最新作「半沢直樹 アルルカンと道化師」以前のシリーズ4冊は、メインタイトルを「半沢直樹」と改題し講談社文庫より刊行。

(2020年9月13日本紙掲載)

「半沢直樹」シリーズ最新作「半沢直樹 アルルカンと道化師」
「半沢直樹」シリーズ最新作「半沢直樹 アルルカンと道化師」