歌手、女優としてカリスマ的人気を誇る英国出身のジェーン・バーキン(70)が16日、東日本大震災の支援公演以来、6年ぶりに来日した。19日の公演を前に、46年にわたる「日本愛」や、娘の急死や家族への思いを明かした。

 2時間あまりの公演で披露するのは、半世紀近く歌い続ける元夫セルジュ・ゲンズブール(62歳で死去)の曲だ。この1年あまり、日本の音楽家、中島ノブユキ(48)のアレンジで各国のオーケストラと共演してきた公演を、東京フィルハーモニーとコラボレーションで披露する。

 「今まで聞いてきたはずの曲がノブのアレンジでミステリアスな新しい味になっています。辛口のフランスのメディアが珍しく絶賛してくれたくらい。それぞれの国のオーケストラで微妙に味わいが違う。きっと新鮮に響くと思います」

 白いTシャツにジーンズ姿。奔放な生き方を象徴するスタイルは相変わらず。来日が十数回に及ぶ親日派だが、6年前の体験を通して「日本愛」を深めた。東日本大震災のニュースをテレビで知った直後、居ても立ってもいられずに飛行機に飛び乗った。

 「日本行きの便はガラガラでした。46年前に次女(のちの女優のシャルロット・ゲンズブール)がおなかにいる時に来て以来、日本には特別な思いがありました。避難所では、ものすごくつらいはずなのに、レジ袋1つ分の生活物資しかなくても、皆さん心穏やかに過ごしていました。日本の素晴らしさをあらためて実感しました」

 中島とはその時に出会った。

 「言葉だけでは伝わらない。何かできないかと、スーパーマーケットの横でノブたちと歌いました。ちょっとしたことしかできませんでしたが、それをリストバンド運動などにつなげてもらいました」

 自分もがん治療のさなかで、周囲の制止を振り切っての来日公演となった。

 4年前には写真家の長女ケイト・バリーさんが46歳で急死した。「人生で一番のショックでした。震災後の海岸で『孫を(津波に)さらわれた』と遠くを見ていた女性の姿を思い出しました」。1年間引きこもり生活も送った。当時を思い出し、ほおを涙が伝わった。

 絶望をもたらしたのが家族の死なら、復帰の力となったのも家族の力だった。

 「今回はシャルロットが同行してくれていて頼もしい。下の娘(女優ルー・ドワイヨン=34)には私の知る日本を案内したい。彼女たちや5人の孫たちと話したり、笑ったりするのが私の原動力なんですね」

 母親から言われた言葉が頭を離れない。「笑いは人を元気にする。だからみんなの前で笑いなさい。その代わり泣く時は1人でね、と。だから公演では、笑顔を、笑いを伝えたい」。【相原斎】

 ◆ジェーン・バーキン 1946年12月14日、英ロンドン生まれ。21歳で出演した映画「欲望」がカンヌ映画祭パルムドール(最高賞)。映画は「太陽が知っている」「美しき諍い女」など。69年、2人目の夫ゲンズブールとのデュエット曲で歌手活動を始める。高級ブランド「エルメス」の代名詞「バーキン」は、同社社長が飛行機でバーキンと隣り合わせた際、カゴの中に無造作に荷物を詰め込んでいるのを見て「あなた用のバッグを作らせてください」と申し出たのがきっかけ。