2日に慢性閉塞(へいそく)性肺疾患で亡くなった落語家桂歌丸さん(享年81)の告別式が11日、横浜・妙蓮寺で営まれ、落語界、芸能界関係者約1000人、ファン約1500人の計2500人が参列した。祭壇は横浜の海をイメージし、地元横浜の人々も数多く参列し、別れを惜しんだ。

 歌丸さんは生まれ育った横浜をこよなく愛した。祭壇は青と白の花を約3000本使い、横浜の海をイメージした。家族葬とこの日の告別式、すべてを横浜で営んだ。亡くなった後、病院から葬祭場へ向かう時、歌丸さんを乗せた車は自宅周辺を回った。法名「眞藝院釋歌丸(しんげいいんしゃくかがん)」にある「眞」は、生まれ育った真金町への思いを込めた。

 横浜を離れたのは疎開していた戦時中だけ。三遊亭小遊三(71)によると、仕事場に近い東京に住むことを勧めた時に、歌丸さんは「横浜を離れたくない」と話したという。5代目古今亭今輔門下から桂米丸(93)門下に歌丸さんが移ってきた時のことを、米丸は弔辞で「『(今輔から)同じ横浜同士だし、面倒みてやって』と言われた」と明かした。横浜にぎわい座の設立にも尽力するなど、横浜とのきずなは強い。

 この日、一般ファンが献花するために用意されたテントからは人があふれ、告別式終了の午後4時を過ぎても献花に訪れる人がいた。地元からの参列者は多かった。横浜市の高原文吉さん(68)は「都内じゃなくて、ここで(告別式を)やってくれたことがうれしい」と話した。同市の小倉泉さん(49)は「私も闘病中。歌丸さんの『病気とうまく折り合ってやっていくしかない』という言葉を知って、落ち込まずにやっていこうと思った」と語った。

 「落語と落語のお客さまを残すことがはなし家の責任」と常々語っていた歌丸さん。落語はもちろん、お客さまも残したことを、参列者が物語っていた。

 ひ孫が大好きなひまわりが飾られた別室には、日本テレビ系「笑点」で着た着物や釈台、愛用の扇子、手ぬぐい、釣りざお、旭日小綬章などが展示された。モニターでは、最後の高座となった4月19日の「小間物屋政談」が流された。愛し、愛されたものに囲まれ、歌丸さんは旅立った。【小林千穂】

 ◆主な参列者 桂米丸、林家木久扇、中村吉右衛門、泉ピン子、林家こん平、桂文珍、笑福亭鶴瓶、三遊亭円楽、柳亭市馬、金原亭馬生、林家ぺー、尾上松也、林家たい平、林家三平、山田隆夫、柳家喬太郎、林家木久蔵、大木凡人、宇多丸