俳優梅宮辰夫(うめみや・たつお、本名辰雄=たつお)さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため、神奈川県内の病院で死去した。

81歳。東映ニューフェースとして芸能界入りし映画「仁義なき戦い」など実録路線でスターに。6度のがんを経験も、今年10月までドラマ現場で俳優魂を見せていた。14日に密葬が営まれる。喪主は未定。お別れの会は所属事務所などが検討中。長女でタレント梅宮アンナ(47)妻クラウディアさん(75)も含め、幅広く活躍した。

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一本気な人だった。

梅宮さんが芸能界入りした当時は「映画俳優」といえば人数も少なく、近寄りがたい雲の上の存在。20歳で芸能界に入った梅宮さんは、自身が思い描く「高根の花の芸能人」であろうと努めながら生きてきた。

昨年2月にインタビューした際、平成時代のフレンドリーな芸能人のことは「芸能人じゃない」と厳しい言葉で指弾。「テレビ局の『放送要員』としか映らない。放送局の『スタッフ』と同じ。それだけです」と続けた。反発を受けかねない厳しい言葉だが、信念は決して曲げなかった。

独身時代は「銀座の帝王」として知られ「1週間の日にち(7日)よりも、交際する女性の数の方が多かった」と振り返ったほどのモテ男。だが、これも「映画俳優は銀座の女性にもててナンボ」との考えが背景にあった。当時、昭和を彩る大スターの来店は店のステータスにもなり、「料金は不要だから店に来てとよく言われた」という。銀幕の中だけでなく、夜の街でもスターであろうとしていた。

独身時代の「遊び人」のイメージが強いが、中退して芸能界に入るまでの大学時代は正反対。剣道部に所属し、道場に住み込んでの合宿生活で「当時は女性とデートをしたこともなかった」と話していた。硬派を貫いていた。

72年にクラウディアさんと結婚をして長女アンナが誕生。その2年後に肺がんが見つかった。「自分はあと何年生きられるのか」と真剣に考え、「1分1秒でも家族と一緒に長くいたい」と強く思う。そして1日4箱も吸っていたたばこをやめ、銀座通いからもキッパリと足を洗った。

「昭和のスターの生き残り」を自称。中途半端や妥協を許さず、こうと決めたらまっしぐらな生きざまを貫いた81年の生涯だった。【松本久】