サッカー界で不祥事が相次いで起こった。僕なりにこの件についてどう考え、どうしていくべきかを書いてみたいと思う。
起きた問題について細かく説明する必要はないと思うので、それぞれを掘り下げるつもりはない。僕が問題だと思うのは、その起きたことに対して、選手、関係者ら全員が寝耳に水だったわけではないのではないかと思うことだ。
例えば、ブラジル人選手の飲酒運転問題に関しては、普段から目を配っていればその行為について何かしらの警告を出せた状況ではないかと考える。僕は17年前にブラジル人選手の通訳として大宮アルディージャに所属していた。当時いたブラジル人は皆、お酒が大好きだ。次の日がオフであれば誰かの自宅に集まり、みんなでバーベキューをしてお酒を飲む。その時に軽い気持ちになり運転をしようとする選手がいる。
しかし、そこは通訳でもある僕の責任として必ずお酒を飲まない、もしくは飲めない人をそばにおいておく。もちろん、常に監視できる状況がずっと続くわけではないので、最初だけしっかりと話をして、その都度誰が車を運転するかなども確認しておけば、飲酒運転の心配はいらなくなる。これはお酒が好きなブラジル人選手には絶対に必要な教育だと思っている。
ブラジル人の気質には、「その瞬間が楽しいのが一番」という風なものがある。もちろん全員ではないが、カーニバルでも全ての財産を使ってしまう人もいるくらい、彼らの気質は極端な部分がある。僕が見てきた多くのブラジル人には、陽気であるとともに、そうした気質があった。通訳としては、その場がノリで片付いていかないように細かくチェックすることにも目を光らせていた。
今回の不祥事は選手個人の問題であることは間違いない。ただ、それを何となくにしてしまう環境がそこにあったのではないだろうか。サッカー界にはサッカー界だけのルールが存在することが多い。一般社会では通用しない何げない行動や言動がうやむやにされることもある。
例えば、ガンバ大阪で起きた飲酒運転については、練習後に酒気帯び検査をして発覚しているということは、練習中に選手からお酒の臭いがしたり、何かしら違和感みたいなものを感じることもあったはずだ。それをそのままにしてしまう環境。そこでできる対処があったかどうか。もしくはそこで対処した結果、発覚したのかもしれないが、僕らは何となくうやむやにする習慣を無くしていかないと、この問題はまた起きると思う。それは偶然起きたことではなく、常習化された結果、発覚されたとも考えられるからだ。
僕が今回の不祥事を通して思うことは、サッカー選手への教育をもっと徹底するべきだということ。小さい頃から好きなサッカーだけをずっとやってきた結果、プロ選手になれる。それはピッチ内だけでの有効性であり、ピッチ外では何を軸に自分を律したらいいのかわからなくなる選手が多い。
サッカー選手には「憧れ文化」がある。先輩がどこどこの高校に行ったから、先輩がこのスパイクを履いているから、先輩がこれをやっているから。もし先輩が間違っていたら…。そんな風に考えることもなく、サッカー村ではサッカーがうまいだけでその人が美化されることが多い。酒を飲んでいても、タバコを吸っていても、プレーがすごければ誰も何も言わない。もちろん20歳を超えていれば法的な問題は何もない。そしてプレーがすごければ余計に何も言わなくていいとなる。ある種、裸の王様なのだ。
僕らJ3の選手がチヤホヤされることはあまりないが、サポーターが多いクラブやJ1のクラブは確実に裸の王様が増える環境下にある。選手間では「あいつヤバいよな」となっていても、それを誰かに報告したり、相談したりする場もない。この環境は決していいとは言えない。
選手同士は仲間でもあるがライバルでもある。本気でその人の人生を支え合う環境というよりかは、自分がどう生き残るかの方が最優先になる。人のことまで構っていられないのが本音なのかもしれない。
そしてもっと問題だと思うのは、不祥事を起こした選手を解雇することだ。解雇することでクラブは責任を果たしたつもりかもしれないが、不祥事を起こした選手を社会に放つことになる。サッカー選手は社会に不適合な部分がある。先にも述べたように、サッカーだけに打ち込んできたからこそプロになることができた。ある意味そうでなければサッカー選手になれないということの表れでもあるかもしれないが、もっと俯瞰(ふかん)してみれば、欠如しているものもたくさんあるということになる。その部分にもクラブが責任を持つことが必要だと思う。
オランダの強豪アヤックスでは、ジュニア世代の指導者に教育リーダーという肩書を持った人がいる。それはそのクラブのスタッフではなく、市役所やその地域で働く人が週末にその役割を担う。彼らのミッションは監督のサポートがメインではあるが、子どもたちの表情やしぐさなどから、異変や違和感を感じ取ることも仕事のひとつなのだ。
サッカー選手だからといって人間的に素晴らしいかと言われたら、イコールとはならない。どの世界でもサッカー選手としての姿と、1人の人としての姿にはギャップが生まれると感じている。サッカーがうまくなるために練習をしなければならないのと同じで、人として優れた人になるためには社会との関わりを持ちながら、人間力と呼ばれるような生きる力や考える力を身につける必要がある。だからアヤックスは選手が若い頃からそうした試みを繰り返し、人としてどう育てたらいいかを考え、取り組んでいるのだと思う。
DAZN(ダ・ゾーン)は日本で欧州チャンピオンズリーグを放送しなくなった。ただ単純に残念ということだけではなく、DAZNという企業がスポンサーから離れていく可能性についても考えなければならない。やべっちFC(テレビ朝日系)の終了も同様だ。サッカーというスポーツから魅力はなくならない。しかし、サッカー選手という人から魅力を感じなくなることはあるだろう。その結果が少しずつサッカー離れを引き起こしてると考えてもいいくらいだ。
今こそ選手それぞれが100年先をみて、サッカー界の発展を考え、今以上に素晴らしいサッカー界とはどんな世界観の中にあるのかを想像してほしい。その実現のために、自分の思考や行動をちゃんと表現したい。
全クラブが本気になって人育てに取り組むべき時が来た。時間でこの不祥事を解決してはならない。今回、相次いだ不祥事は、それぐらいの大きな課題を示した出来事だと思っている。(J3、YSCC横浜FW)(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「0円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)







