ベガルタ仙台は明日22日、ホームで名古屋グランパスと開幕戦を戦う。今季から就任した木山隆之監督(48)は、J2水戸ホーリーホックで36歳のときに指揮官デビューし12年。自身初のJ1に挑む。今回は日刊スポーツの単独インタビュー第2弾。「シーズン開幕編」に続き、監督になったきっかけなどを紹介する「素顔編」をお届けする。【聞き手=山田愛斗】

-監督を始めたきっかけは

木山監督(以下、敬称略) 大学に入るときはまだJリーグもなかったし、高校の先生になりたいと思っていた。教員免許が取れる筑波大に進学することになり、そこで一生懸命サッカーをやって、卒業したら先生になろうと。そうしたら大学に入学してすぐぐらいにJリーグができる、プロ化するとなり、実際に3年生のときに開幕した。その流れの中で、まずはプロになりたいとなった。自分が小中学生のころは日本にプロができると夢にも思わなかったが、プロの世界でプレーするようになり、いつしか監督になりたいと思うようになった。選手の早いタイミングで、すねを折ったり苦労していたし、引退する少し前の水戸でプレーしていたときに筑波の大学院に入り、コーチ学の勉強を始めて、引退と同時に筑波で指導を始めた。そのときには将来プロの監督になりたいという思いを持っていた。

-08年の監督初陣は退席処分

木山 セレッソとの試合だったが、当時(36歳)は若かった。負けず嫌いで、理不尽なことにカッとなる癖があって、でも若かったと思うよね。判定に対して目の前にあったペットボトルを蹴飛ばして、相手監督のクルピさんがそれを見ていて、4審に「あいつペットボトルを蹴ったぞ」と言いに行ったら僕が退席になった。結構派手に蹴ったけど、審判は見てなかったんだけどね(笑い)。

-憧れの監督は

木山 僕はベンゲルさん(元名古屋、元アーセナル監督)がすごく好きで、自分がプレーヤーだったころ、名古屋のチームのプレーを見たときは衝撃的だったし、その後にアーセナルを率いて、大監督になった。ずっとプレミア(リーグ)で強い時代を率いていたときのサッカーもすごい好きだったし、アーセナルも時代が変わって、サッカーもちょっとずつ変わっているけど、流動的でパスも組織としてのチームの守備もいいし、ああいうスタイルが僕の1つの憧れというか好きなスタイル。

-監督の理想像

木山 いつも上から目線にものを言う監督ではなく、選手たちと一緒になって1つのものをつくり上げていく監督になりたいし、(監督を)始めたときから10年以上たって、年を取ってきたけど、気持ちだけは若いつもり。選手たちの中に入っていき、1つのチームをつくりたい思いは、今でも変わっていない。

自身初のJ1指揮で、理想を現実に変えてみせる。