五輪年の昨年とはまったく違う姿だった。水泳の早慶戦が7月2日、東京辰巳国際水泳場であった。早大3年の渡部香生子(20=JSS立石)は100メートル平泳ぎ、200メートル個人メドレーで大会記録を出して優勝。リレーを含め、早大の勝利に貢献した。

 開幕が迫る世界選手権(ハンガリー・ブダペスト)の代表選手は海外合宿などで不在。そんな中、代表から漏れた渡部の泳ぎは光った。表情も明るい。前向きに大好きな水泳を取り組む姿勢が見えた。観戦した日本水泳連盟の青木剛会長も「センスの良さは抜群。3年後(東京五輪)も楽しみだね」とうなずく。非凡な才能は健在だった。

 渡部 「今は順調だし、しっかり練習も頑張ることができている。去年までの重い気持ちは晴れたかな」


引退危機を乗り越え、3度目の大舞台となる東京五輪を目指す渡部香生子
引退危機を乗り越え、3度目の大舞台となる東京五輪を目指す渡部香生子

■「このまま辞めたい」

 メダルを期待された昨年リオデジャネイロ五輪は100、200メートル平泳ぎとも決勝進出を逃した。12年ロンドンに続き、2度目の五輪も不本意な結果。「このまま辞めたいとの思いは強かった」と、一時は引退に気持ちが傾いた。

 再起は難しいだろう。リオ五輪を終えて、自分もそう思っていた。担当記者として、この2年間で絶頂からどん底に落ちる姿を間近にしていたからだ。

 15年夏の世界選手権(ロシア)。渡部は女子200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した。翌年に控えたリオデジャネイロ五輪の金メダル候補へ一気に浮上。前途は希望に満ちあふれていたはずだったが「金メダル候補」の肩書は重かった。責任感の強さゆえなのか、重圧に苦しみ「(世界選手権で)金メダルを取らなければ良かった」と言うほど、メンタルは崩れた。

 渡部 「結果を気にしすぎて、思うように力が発揮できなくなった。自分のことも信じられなくなった」

 負のスパイラルにはまると、竹村吉昭コーチとの関係もぎくしゃくし始める。心身ともに万全とはほど遠い状態のまま、五輪本番に突入した。

 それは、4年前の悪夢の繰り返しだった。12年ロンドン五輪。当時15歳。スーパー高校生と騒がれたが、周囲の注目と期待に、心と体のバランスを失う。当時の麻績コーチとの関係も微妙なものになっていた。

 ロンドンに続きリオでも決勝レースのスタートラインにすら立てない。全力を出して、負けたのなら仕方がないが、2回ともに勝負に出るどころか、自分の泳ぎすらできなかった。

 渡部 「五輪に2回行って、2回とも、納得のいく泳ぎができず、やり切ったレースができなかった。このままでは絶対にだめだし、このまま引退したら、ただ逃げただけになる」


リオデジャネイロ五輪の女子200㍍平泳ぎは準決勝で敗退、手で顔を覆う渡部(2016年8月10日)
リオデジャネイロ五輪の女子200㍍平泳ぎは準決勝で敗退、手で顔を覆う渡部(2016年8月10日)

■「自分が歯がゆかった」

 現役続行を決めた理由の1つには、あの金メダリストの存在もある。リオ五輪女子200メートル平泳ぎ金メダルの金藤理絵。ロンドン五輪落選から毎年引退危機に見舞われながら、27歳にして世界の頂点に立った。ライバルに負けた悔しさ以上に、数々の挫折を乗り越えた金藤との覚悟の違いを痛感した。

 「(五輪前の)冬の合宿から覚悟が決まっていると感じていた」と渡部。メンタルが不安定だった自身とは対照的に、競技人生の崖っぷちから何度もはい上がったベテランは五輪に人生を懸けた。そのすごみは伝わってきたし、そうできない自分が歯がゆかった。

 もう逃げない。そう決意した直後の昨年12月、陸上トレーニング中に右足首を捻挫する。再始動した直後のアクシデントだったが「もう仕方ないと。逆に全部をゼロに切り替えられた」と、強くリセットボタンを押す材料にしてみせた。

 練習環境も変えた。全国中学で平泳ぎ2冠を獲得した中学2年以来、コーチからマンツーマン指導を受けてきた。早大入学後もチームとは別に、独自の練習を続けた。リオ五輪後はその態勢を変更し、早大のチームメートと一緒に練習するようになった。「仲間と練習をすると、本当にきついときでも、もう1歩頑張ろうと思える」と、効果を感じている。

 世界選手権代表は漏れたが、8月のユニバーシアード大会(19日開幕、台湾)の代表には選ばれた。今の目標は、そのユニバーシアードで世界選手権代表組に勝つこと。「(練習環境などを)自分で決めたし、今はレースに対して気が重くなるのではなく、レースの緊張を楽しめている」。

 最後に意地悪な質問をしてみた。東京五輪の注目度は過去2大会を超えることは間違いない。また重圧から自分を見失うことはないのか。

 渡部 「そのときになってみないと、どうなるかは分からないが、注目されることも、とらえ方1つで変わってくる。今は注目してもらうことはありがたいことだったと思えている。自分の中で、2度五輪を経験して、どちらも納得のいく泳ぎができていない。やり切ったレースをする。そこだけはぶらさずにやっていきたい」

 泳ぎの才能はあっても、決して器用なタイプの人間ではない。だからこそ、試行錯誤や失敗を繰り返すし、成功まで時間もかかるのかもしれない。「三度目の正直」となる20年東京五輪。もう後悔だけはしない。【田口潤】