ラグビーW杯フランス大会が9月8日に開幕する。日本代表は、7月8日のオールブラックスXV戦(東京・秩父宮)を皮切りに実戦モードに突入し、大舞台に臨む33人を絞り込んでいく。個性豊かな外国出身選手たちもアピールが求められるもう1つの戦い。桜のジャージーを目指す男たちを全5回連載で紹介する。
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【父の背中を追う男】ファウルア・マキシ(26)/NO8
15年前のあの日から、マキシは真っすぐにラグビーと向き合ってきた。
「11歳の時にお父さんが亡くなって…。お父さんの友達、家族、知り合いに『その道に続いてほしい』と言われて、ラグビーで頑張っていこうと思いました」
突然の別れだった。
ラグビーが国技のトンガで、父タカイさんは代表選手として国を背負っていた。息子と同じFW第3列。プレーを映像で見たことはないが、自宅には現役当時の写真が飾られていた。
父は仲間の支えになる人だった。ビールを片手に場を楽しませるのが好きだった。マキシは4人きょうだいの末っ子で姉が2人、兄が1人。勉強が好きだった兄はラグビーをしていなかった。トップレベルから退き、クラブチームでコーチをしていた父について行った練習場。7歳で始めたが、当初は「体が小さかった。ぶつかるのがちょっと嫌だった」と控えめだった。
「亡くなるまでは“ただやっていた”。いろいろな人が、僕のお父さんをリスペクトしていた。そこから本気で上を目指しました」
ほどなくして世代別のトンガ代表に選ばれた。ニュージーランド遠征でアピールし、同国の高校からもスカウトされた。日本航空石川高の関係者がトンガを訪れたのも、その頃だった。
ニュージーランドで挑戦すると決めていた。初めは母も「日本は遠い。ニュージーランドは近いけれど、日本だと3年間会えない」と反対。だが、先に同校へ留学していたトニシオ・バイフ(三菱重工相模原ダイナボアーズ)の母と、自身の母が友人だった。親子で日本の魅力を伝え聞き、挑戦への意欲が出た。寮生活で、家族の金銭面の負担が少ないことも大きかった。
「日本のイメージは映画を見ての『人が小さい』『空手』ぐらいしかなかった。でも、日本に来てみて、人の優しさを知りました」
見知らぬ国でのホームシックは2週間で脱した。トンガにいた頃から、1年間ほど日本語を学んでいた。
「平仮名、カタカナは書けて、読めていました。あいさつもできていました」
分からない言葉は先輩、同期が教えてくれた。グラウンド外の努力も実り、高校日本代表に選出された。天理大で全国大学選手権準優勝、東京ベイ(旧クボタ)でも今季の初優勝に貢献。昨年は日本代表としてフランス、ニュージーランドなど強豪との戦いを経験した。
「日本に来た時から『日本代表になりたい』と思っていました。高校、大学の時に憧れたW杯が近づいてきている。全力を出し切りたい。グラウンドの中だけじゃなくて、外を含めて、プロフェッショナルの生活をしないと成長できない」
持ち味の力強いコンタクトに加え、献身的なプレーを怠らない。友に慕われ、愛された父のように、マキシは夢を追う。【松本航】
◆ファウルア・マキシ 1997年1月20日、トンガ生まれ。日本航空石川高、天理大を経て、19年にクボタ(現東京ベイ)入団。クボタを選んだ理由は、天理大の先輩であるCTB立川理道主将の存在で「いいチームだと感じたのと、ハルさん(立川)とプレーしたかった」。日本代表は16年の韓国戦で初出場し、キャップ5。愛称は「ルア」。187センチ、112キロ。
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