「ようし!!待っとれ、セン!」91年広島山本浩二監督の熱~い優勝手記

傑作選

日刊スポーツ

広島東洋カープを愛する皆さまへ。31年前、当時の山本浩二監督が寄せてくれた貴重な優勝手記を復刻します。冒頭と結び、ときおり入る広島弁…本拠地で舞った「気」が伝わってきます。開幕は3月25日!(1991年10月14日掲載、所属、年齢などは当時)


胸が熱くなった。どれが、だれの手か分からない。みんながワシを宙に突き上げてくれている。ホンマにみんなよう力を合わせてやってくれた。

選手のときも優勝した瞬間は「全員でつかんだんや」と思うたが、今、監督として胴上げされ、一層、その思いが強い。

「みんなありがとう」。スタッフや選手には、感謝の気持ちでいっぱいや。みんなでうれし涙を流せる。こんな幸せなことはないではないか。

広島対阪神 リーグ優勝を果たし、祝勝会でビールかけに興じる山本浩二監督

広島対阪神 リーグ優勝を果たし、祝勝会でビールかけに興じる山本浩二監督

ワシが監督に就任したときセン(中日星野監督)と「ふたりで優勝争いをしようや」と誓い合ったが、そのセンと最後まで勝負できたことは、野球人生のいい思い出になる。ワシとセンは、六大学のときからいいライバルやったし、友達やった。

1991年のセ・リーグ優勝争いは、終盤までもつれた。投手陣の厚い広島は、夏場以降に加速。9月10日からの中日3連戦を3連勝して首位に立ち、逃げ切った。17勝の佐々岡真司が沢村賞とMVP。

8月の下旬やったか、広島球場で中日戦があった。あのときは、うちのチーム状態も悪かった。中日の優勝が濃厚になっていたころや。センから見ればワシが落ち込んでると映ったんやろう。

球場で顔を合わせるとセンは「監督が下を向いとって、どうするんや」と強い口調でハッパをかけてきたんや。選手たちには「まだ勝負は先だ。一戦一戦大事に戦わないかん」と監督訓示をしたワシ自身が、センにシリをたたかれたんや。

でも、うれしかった。「ようし! 待っとれ、セン!」。9月戦線へ向けてワシも気持ちを取り戻したんや。9月にムチを入れる――コーチや選手に号令をかけた理由は、日程やった。10月になれば、うちの日程がハードになるのは目に見えていた。

9月に勝てるだけ勝って、10月には余力を残して、強行日程を乗り切っていく。これがうちの作戦やった。

選手はそれをよう理解して働いてくれた。特に山崎隆や達川、西田、大野といったベテランが勝負どころで、自分たちの責任を果たしてくれたのは大きい。

広島対阪神 リーグ優勝を果たし、ペナントを手に場内を一周する山崎隆造(1)、川口和久(右から2人目)、大野豊(24)、西山秀二(32)、江藤智(33)ら広島ナイン

広島対阪神 リーグ優勝を果たし、ペナントを手に場内を一周する山崎隆造(1)、川口和久(右から2人目)、大野豊(24)、西山秀二(32)、江藤智(33)ら広島ナイン

バークレオとアレンの不振。投手陣では津田の誤算。開幕早々苦境に立たされたが、かえって居直ることができた。おかげで江藤や前田を思い切って使えた。

ストッパーが大野ひとりとなったことで、大野の無理遣いは絶対しないとワシ自身、戒めた。

大野を出せば勝てた試合があったかもしれん。ワシも何度か、交代を告げようと思ったこともある。「大野」と球審に告げればワシも楽になる。だが、それをやっていたら、最後まで持たなかったろう。

監督は我慢も大事なことやとつくづく思う。そして何より、コーチと選手を信頼することだと思う。

監督ひとりでは何もできない。野球をやるのは選手であり、選手を育てるのがコーチだ。お互いに信頼し合うことでチームワークが生まれると思うんや。

西武との日本シリーズは似たもの同士で、うちが不利だとみんな思うとる。もちろん打線の迫力は全然違うかもしれんが、うちの野球をキッチリやれば、西武にとっても脅威のはず。まあ、見ててください。 〈広島監督・山本浩二〉

◆山本浩二(やまもと・こうじ)1946年(昭21)10月25日生まれ、広島県出身。廿日市高から法大を経て、68年ドラフト1位指名で広島入り。75年首位打者。78、80、81、83年本塁打王。79~81年打点王。75、80年MVP。外野手でベストナイン10度。通算成績は2284試合2339安打、536本塁打、1475打点。打率2割9分。広島監督を2期10年務め、91年リーグ優勝。08年北京五輪守備走塁コーチ。13年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック日本監督。08年野球殿堂入り。右投げ右打ち。