4度目のパラリンピックは選手として-。パラ・パワーリフティング女子50キロ級のマクドナルド山本恵理(34=日本財団パラリンピックサポートセンター)が、1度は諦めた夢に挑んでいる。高校時代にケガで水泳の選手生活を断念。裏方として08年北京から3大会連続でパラリンピックに“出場”した。競技歴は1年6カ月だが、12月2日開幕の世界選手権(メキシコ)に出場。20年東京大会代表、表彰台を目指してスタートを切る。

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 生活のすべてでパラリンピックと向き合っている。選手として、教育事業担当のパラリンピックサポセンター職員として。東京・虎ノ門の職場の地下2階にあるトレーニング室で、山本はニッコリ笑って言った。「人生の中心にいつもパラリンピックがありました。20年東京へ向けて多くの人にパワーリフティングの面白さを知ってほしい。仕事上でもすべての競技会場がいっぱいになればいいですね」。

 先天性の二分脊椎症で、幼い時に受けた手術の影響から両足が不自由になった。水泳で世界を目指したが、高2の時のケガで断念せざるを得なかった。それでも「パラの世界にとどまっていたい」一心でサポート役を目指したという。同大で心理学、大体大大学院でスポーツ心理学を修めた。08年北京では水泳代表チームのメンタルトレーナー、カナダ留学中の12年ロンドンでは日本選手団の通訳を務め、昨年のリオでは国際パラリンピック委員会への派遣職員として活躍した。そんな山本に再び表舞台に立つ機会が訪れていた。

 リオ前の昨年5月だった。都内でパラスポーツへの理解を深め、普及を促進する競技体験会を開催した。体験してもらう側だったが、自らバーベルを握ると40キロをクリア。周囲が放っておくはずもなく、思わぬ形で、違う競技で選手としてカムバックが決まった。「裏方としてやってきましたが、やはり選手で…という気持ちがどこかにあったんだと思います」。12月の日本選手権では55キロ級の日本記録50キロをマークした。

 今年になって50キロ級に階級を下げ、本格的に世界で戦う態勢を整えた。自己ベストは53キロ。リオの優勝記録は107キロと現実は厳しい。ただ、水泳で鍛えた基礎体力に加え、カナダで始めたアイススレッジホッケーで同国代表としてプレーしたバランス感覚と運動センスも備えている。リフターとして経験が浅い分、大きな伸びしろも期待できる。

 「やるからには東京でメダルを目指したいです。もちろん東京大会が成功して、その後もパラスポーツが日本に根付くよう、仕事も頑張りたい」。代表になるには国際大会で好成績を収め、ポイントを積み上げねばならない。その第1弾が世界選手権。山本の50キロ級は5日(日本時間6日)に予定されている。【小堀泰男】

 ◆マクドナルド山本恵理(やまもと・えり)1983年(昭58)5月17日、神戸市生まれ。9歳から神戸高塚高2年生までは水泳で活躍。同大から大体大大学院に進んだ。2010年からカナダへ留学し、同地で始めたアイススレッジホッケー(女子はパラリンピック競技ではない)で同国代表入り。留学中にカナダ人と国際結婚してマクドナルド姓になる。15年9月に帰国し、現在は日本財団パラリンピックサポートセンター常勤職員。愛称はマック。