閉幕後まで考えて準備する。その重要性をラグビーワールドカップで、あらためて思い出しました。大会中に盛り上がった熱を逃さないように、日本代表選手たちは閉幕直後から連日、テレビ各局の番組に出演しています。そしてスター選手が再び集う1月開幕のトップリーグへとつなぐ。その仕掛けは実に見事です。おそらく開幕前から準備していたのでしょう。

熱は受け止める器がなければ、あっという間に放散してしまいます。98年長野パラリンピックで痛感しました。大会は盛り上がり、私の金メダルはスポーツ紙の1面にも取り上げられました。ところが閉幕後、その風がピタリと止まったのです。世間の関心は薄れ、応援してくれた人たちもいなくなりました。当時は土台も築けていませんでしたし、大会後を考える余裕もありませんでした。

長野大会を開催したことでパラリンピックの認知度は飛躍的に高まりました。でも、それはあくまで偶然の産物でした。大会を開催すれば何かが変わるだろうという意識では何も変わらないということを肌で感じました。20年大会決定後、国際パラリンピック委員会の「レガシーは残るものではなく、残すもの」という言葉を今もよく覚えています。何を残すかを事前に決めて、逆算して計画を立てることがとても重要なのです。

2020年大会に向けて着々と準備が進んでいます。オリンピックの聖火リレーのコースが決まり、新国立競技場も完成しました。でも今までと同じことをしていては一過性に終わってしまうのではという危惧もあります。大会後に何を残すのか、そのために何を準備するのか。20年大会はそれを実現するためのスイッチなのです。明かりが消えては意味がありません。準備する人たちは自分たちがスイッチを入れるチェンジメーカーだという意識を強く持っていきたい。

思えば長野パラリンピックは実に多くの人に支えられ、さまざまな苦難を乗り越えて開催されました。その貴重な経験を20年大会にも生かしたいと思いましたが、実は当時の関係者の証言をまとめた記録は残っていませんでした。大会後の次を考えて、細かい証言を記録として残しておくことの大切さを痛感しています。この苦い教訓も20年大会で生かしてほしいと思っています。

◆大日方邦子(おびなた・くにこ)アルペンスキーでパラリンピック5大会連続出場し、10個のメダルを獲得(金2、銀3、銅5)。10年引退。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長で、平昌パラリンピック日本選手団長を務めた。電通パブリックリレーションズ勤務。47歳。