トライアスロンの加藤友里恵(29=ペリエ・グリーンタワー・稲毛インター)が、遠回りしながらも夢をかなえた。

 トライアスロンの存在を知ったのは、小学校6年の時。千葉県内のマラソン大会に、翌年のシドニー五輪に出場する庭田清美がゲスト参加していた。水泳選手としてジュニアオリンピックにも出場していたが、3競技やる魅力を知って「楽しそう。いつかは、私も五輪に出たい」と思った。

 中学までは水泳部だったが、その後陸上部に転向。銚子西高、城西国際大、実業団のスターツで長距離選手として活躍し、千葉国際駅伝や実業団駅伝などに出場した。しかし、故障などもあって10年7月に退社。同年11月、かつて庭田が所属した稲毛インターに「一般クラス」で入会した。

 「押しかけですよ。まさか五輪選手にまでなるとは思わなかった」と稲毛インターの山根英紀ヘッドコーチ(47)は笑う。転向したころの加藤はケガによる練習不足と実業団時代に体重制限(38キロ)していた反動で63キロ。トップレベルで競う選手ではなかった。

 12年ロンドン五輪後、山根コーチと1対1の面談があった。「『本当に五輪に出たいのか』と言われて、涙が出た。私、何をやっているんだろうって。それからですね。本気で練習するようになったのは」。チームメートの上田やクラブのメンバーにも励まされ、苦しい練習を続けた。

 「スイムとランはいいけど、バイクはママチャリしか知らなかった。最初は地面が近くて怖かった」と話す。種目交換のトランジションも戸惑った。「はだしでシューズを履くのが慣れなくて」。なかなか結果は出なかったが、少しずつ慣れてタイムも縮まった。4月の世界シリーズ・ケープタウン大会8位で、五輪代表に滑り込んだ。

 リオ五輪予選中の女子バレーボールの荒木絵里香とは家族ぐるみの付き合い。「母親どうしが仲良くて、私も応援に行ったりしていました。一緒にリオに行ければうれしい」と話した。

 世界のトップに30代が並ぶトライアスロンで、加藤はまだ29歳。「キャリアもジュニア選手並なんで、まだまだこれからです」と笑った。東京五輪の20年は33歳で迎える。「1番いい時期だと思う。東京で活躍するために、リオでも頑張りたい」と4年後を見据えて話していた。