世界ランキング1位で金メダル候補の桃田賢斗(26=NTT東日本)が、同88位のティモシー・ラム(米国)を21-12、21-9のストレートで下し、白星発進とした。自身の五輪初陣を飾り、「緊張していたが、体育館に入り、わくわくした気持ちのほうが強くなった」と笑顔。初対戦の年下選手に対して、「相手どうこうよりも、自分のプレーをすることを心がけた。迷いなくリラックスしてプレーできた」とうなずいた。

紆余(うよ)曲折を経て、やっとたどり着いた晴れ舞台だ。世界ランキング自己最高2位に浮上し、リオデジャネイロ五輪での活躍の期待が高まっていた16年4月、違法賭博問題が発覚。無期限の出場停止処分を科せられ、リオ五輪出場をふいにした。代表合宿でともに汗を流してきた仲間たちのリオでの活躍は、「周りへの申し訳なさ」といった気持ちから、テレビで見たいという気持ちにはなれず、「ニュースで結果を知るぐらいだった」と振り返る。

結果的に処分が解けるまでの約1年は、苦手だった走り込みを徹底的に行った。それによってスタミナが大幅に向上。復帰後の躍進につながった。282位まで下がったランキングはV字回復し、復帰から1年半足らずで1位まで上り詰めた。

その後もランキングトップを維持し、王者としての立場を固めてきた中で、新たな試練に見舞われる。20年1月に遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれ、右目の眼窩(がんか)底骨折が判明。「このまま引退してしまおうかな」という思いもよぎったという中でもう一度気持ちを奮い立たせ、多くの励ましを力に変えてコートに戻ってきた。

コロナ禍で大会中止が相次ぎ、さらに自身も感染症の陽性反応が出たこともあって、復帰後の実戦は今年3月の全英オープンを最後に2大会のみ。その久しぶりの国際大会では若手のリー・ジージャ(マレーシア)勢いに屈した。臨戦過程は決して順調ではなかったが、それでも自信に揺るぎはない。「東京五輪で金メダルを取る」。その目標に向けて、着実な一歩を踏み出した。

◆桃田賢斗(ももた・けんと)1994年(平6)9月1日、香川県三豊市生まれ。福島・富岡高3年の12年世界ジュニア選手権で日本人初の優勝。16年4月に発覚した違法賭博問題で1年間の出場停止に。復帰後、18年世界選手権で男子シングルス日本人初V。19年ワールドツアーで年間11勝(ギネス世界記録認定)を挙げて東京五輪出場を確実にした。20年1月、遠征先のマレーシアで交通事故に巻き込まれるも、復帰戦の全日本総合選手権で3連覇達成。175センチ、68キロ。