鉄棒に専念して3大会連続の金メダルを狙う内村航平(32=ジョイカル)の挑戦が終わった。

3つの離れ技を成功させた後に落下。13・866点で予選落ちが決まった。得点を確認すると落胆した表情を見せた。五輪の予選の鉄棒では12年ロンドン、16年リオデジャネイロでも落下していた。鬼門で3大会連続の苦難に見舞われた。

挫折を知った5年間だった。個人、団体で金メダルを手にした16年リオデジャネイロ。体操人生は「自分の思い描く通りに全てうまくいっていた」。

肉体が順風満帆を壊した。両肩の痛みが激しさを増していった。19年4月の全日本選手権、平行棒で爆弾は爆発。演技途中で痛みに耐えられなくなり、中断。予選落ちで世界選手権代表の座を逃し、「東京五輪は夢物語」と言い捨てた。完治はない。右肩に注射を100本以上も打ち込んだが、絶望は増した。

1つの光を見いだす決断は、20年2月。6種目を続けるのではなく、鉄棒に種目を絞った。「昔の自分が邪魔だった。過去の自分が邪魔していた。これだけオールラウンダーで、6種目やってこそ体操、という呪縛。やらないといけないんだと。そのプライドを捨てるのが怖かったし、すごく勇気がいりました」。

苦渋。ただ、それが道を照らしていった。目指したものは変わらず。「姿勢欠点の少ないさばき、6種目のチャンピオンだからだせるものもある。難度も(出来栄え点を示す)Eスコアもこだわってきた」。難度だけを求めるのではなく、ハイレベルで質も追い求めた。1種目でも、信念の「美しい体操」を体現できる。試技の1分に凝縮できると確信し、求道者となった。ある時には「鉄棒から声が聞こえる」と言うまでに。

今は言える。「現実は甘くない。年齢の壁もあり、結果を残したことでの感じてないプレッシャーもあった。そういうのを全て乗り越えた5年間だったと思います」。

3大会連続の金メダルは消えた。ただ、大会前にはこれで引退するつもりはないと明言していた。自分にしかできない鉄棒、体操。それを完成させるまでは。