8艇による決勝に進出した瀬立(せりゅう)モニカ(23=江東区協会)は7位だった。200メートルのレースタイムは57秒998で、同日の準決勝の記録から約2・5秒縮めた。初出場で8位だったリオデジャネイロ大会の成績を1つ上回った。

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レースを終えた他の選手たちが陸へと艇を向けた後も、瀬立はしばらく、フィニッシュラインを過ぎた付近でたたずんだ。「自分が目指してきた夢の舞台。そこで余韻に浸っていたかった」。水上から見える風景をまぶたに焼き付けた。

競技会場のある江東区で生まれ育った。まさに地元で行われるパラリンピックでの金メダル獲得を目指し、厳しいトレーニングに励んできた。目標に手が届かなかった悔しさを感じつつも、「たくさんの人の愛を感じながらこげた。順位はリオからちょっと上がっただけだけれど、楽しいレースだった」。納得の表情を浮かべた。

2日前の予選直後には大粒の涙があふれた。この日の決勝後は、「泣かないと決めたんだった」と笑顔で取材対応。それでも今後について問われると、支えてくれた人たちへの感謝の思いで胸が詰まったか、少しだけ涙がこぼれた。

「メダルを取れないと終われない。コーチやチームの人たちに、『またパリまで付き合ってください』と、お願いすることから始めます」

パラリンピックでのメダル獲得とともに、もう1つの夢がある。それは将来、医師になること。現在は筑波大学体育専門学群に通う。卒業後は、医学部受験のための勉強と並行しながら、パリ大会での活躍を目指す。「大変な道のりになると思うけれど、挑戦したい」。どこまでも広がる無限の可能性を、追い求めていく。【奥岡幹浩】