12歳の開心那(ひらき・ここな、WHYDAH GROUP)が、女子パークで銀メダルを獲得した。12歳11か月のメダル獲得は、13歳10か月で金メダルに輝いたストリート女子の西矢椛を抜き、日本史上最年少メダル。1968年メキシコ五輪に13歳6カ月で出場した競泳の竹本ゆかりを超えて、日本勢の夏季五輪最年少出場記録も打ち立てた。

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腰まである髪をなびかせ華麗に滑る中学1年生は、最後まで笑顔だった。開は銀メダルが確定すると、四十住と抱き合った。「五輪を楽しめた」とほおを緩ませた。日本最年少メダルにも「あんまり年齢とか気にしてないです」とひょうひょうとしていた。

決勝1回目の試技で2位に立ち、2回目でさらなる高得点を出した。板の金具部分を滑る得意の「グラインド」技や空中で板を蹴って縦1回転させる「キック・フリップ・インディ」に成功し、ノーミスで演技を終了。59・04点でトップの四十住を猛追した。「予選よりも滑りのレベルを上げられた」と会心の出来だった。

ストリート女子で金メダルを獲得した西矢と同じく、五輪の重圧とは無縁だ。16年リオデジャネイロ五輪は7歳だったが、ほとんど記憶はない。かねて「五輪は世界からいろいろな選手が出て戦う大会。出られるんだったら出たい」と反応。周囲の期待は感じているが、特別なものと感じていなかった。

競技に出合ったのは幼稚園児だった5歳の頃。スケートボードを見るのが好きだった母が「家族で一緒にできるスポーツをさせたかった」のがきっかけだ。

北海道苫小牧市の練習場に通い始めると「新しい技ができるようになったとき、誰かと一緒に滑ると楽しい」と夢中になった。すり傷や打撲を負いながらも打ち込んだ。熱中しすぎて、自転車の練習を怠った結果、今も乗れないといった逸話まである。

真夏の東京で成し遂げた銀メダルという功績にも、満足するつもりはない。目標とするのは「世界で一番かっこいいスケーターになる」。12歳で初めて挑んだ五輪の舞台も、目標を達成する通過点にすぎない。【平山連】

▽侍ジャパン稲葉監督(日本ハムSCOとして19年に対面し、エールを送っていたスケートボードのパーク女子代表の開が銀メダル)

「よかったですね。五輪へ向けて彼女も一生懸命、家族も含めてやってこられて実を結んだ。関わっているだけに、非常にうれしい」

◆開心那(ひらき・ここな)2008年(平20)8月26日生まれ、北海道苫小牧市出身。5歳で競技を始めた。日本選手権は18年4位、19年優勝。趣味は絵を描くこと。得意科目は図工で上海の大会に出場した経験から、授業では針金で上海タワーを作った。好物はカレーうどんとカレーラーメン。名前の由来は南国好きの母が「ココナツ」から付けた。146センチ、34キロ。家族は両親と弟。血液型はO。

◆「四十住」「開」姓 インターネットサイト「名字由来net」によると、四十住は全国に約180人とかなり珍しい名字。四十住は和歌山県生まれだが、富山県に約110人と多く、そのうち同県氷見市に約80人いるとみられる。「よそずみ」以外に、「あいずみ」と読む場合もある。一方、開は全国に約2700人。「開」は開拓地や開墾地が語源。開は北海道生まれだが、富山県や熊本県に多数みられる。「ひらき」のほか、「はり」「はる」「ひらく」「かい」と読む場合もある。