競泳女子で白血病から復帰した池江璃花子(21=ルネサンス)が、ついに東京五輪に登場した。19年2月12日の白血病公表から893日。多くの苦難を乗り越え、16年リオデジャネイロ大会に続く2度目の五輪となった。日本(五十嵐千尋-池江璃花子-酒井夏海-大本里佳)は3分36秒20。日本記録3分36秒17にわずかに0秒03差届かず、全体9位で予選敗退となったが、東京で再び世界へ歩み出した。

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不思議な感覚に包まれた。池江は「リオもそうだったけど、入場した瞬間、『こんなにキラキラした会場は見たことない』と思った」。五輪独特の高揚感を胸に、引き継ぎで復帰後最速の53秒63。「この舞台でまた泳げてうれしい」と口にした。

5月7日、涙ながらに関係者に電話した。SNSで五輪辞退などを要求する声が寄せられた。匿名で、選手に無理を押しつけるような行為に悲しさを感じた。SNSで「とても苦しいです」と訴えた。天真らんまんな性格だが、もともと正義感は強い。代表常連でもマッサージを受ける順番を大切にする。だから理不尽さを感じ、悔し涙が出た。

何度聞いても切なくなる。19年2月、白血病を公表した。「自分のことは自分の言葉で」が信条。約1時間は涙に暮れたが、病名を非公表にする考えはなかった。すぐに「強くなった池江璃花子を見せたい」と記した。日本水連の青木元会長は「18歳まで水泳だけを一心にやってきて大病した。何を支えに闘病できるか。水泳だったと思う」。

その闘病は厳しいものだった。頭髪が抜けて、体重が18キロも落ちた。抗がん剤治療を始めた春に「死にたい」ともらした。同7月4日、19歳の誕生日は過酷だった。夏の退院予定に合わせ、旅行のガイドブックをめくっていた。しかし誕生日を境に「体調が悪くなって移植になった」と池江。まさに「急変」といえるものだった。合併症となって退院延期。小学校時代の恩師、清水さんも「あの夏、全然連絡がとれなかった。これはまずいのじゃないか」と恐れた。同9月に日本学生選手権を会場で応援したが、関係者は「元気ではない。怖くて、しょうがない」とすぐ病院に戻った。池江は闘病をふりかえって「一時退院で車が渋滞することさえうれしかった」。

それでも負けず嫌いは変わらなかった。19年12月の退院から約2週間後の20年正月。幼少期から親しんだ自宅リビングの雲梯(うんてい)。挑戦しては落下する関係者を見て、腕まくり。退院後初めてチャレンジした。細くなった腕でぶら下がって、右、左、右、左と少しずつ少しずつ進んだ。はらはらする周囲を尻目に完走した。レース復帰後も思う結果が出ないと泣いた。今年1月の北島康介杯、100メートル自由形4位。レース直後に、マットの上に両手をついて突っ伏して「全然ダメだ。速いタイムが出ない」と涙をこぼした。

故郷東京で五輪に戻ってきた。「悔しさ8割、楽しさ2割。(闘病中のことは)全く浮かびませんでした」と笑った。リレー2種目を残す21歳の夏は、始まったばかりだ。【益田一弘】