【松生理乃〈下〉】どんな時も応援してるよ…切れかけた心の糸をつないだ全日本の景色

日刊スポーツ・プレミアムでは、毎週月曜日にフィギュアスケーターのルーツや支える人の思いに迫る「氷現者」をお届けしています。

シリーズ第14弾は、松生理乃(18=中京大)を連載中です。全3回の下編では、21年秋のNHK杯から現在までの道のりをたどります。

体調不良の影響などもあり、本来の力を発揮しきれない試合が続いた昨季、全日本選手権前には重い決断を下そうとしていました。その選択に至るまでの心の揺れに迫りながら、新シーズンへと向かう姿を描きます。(敬称略)

フィギュア

   

22年全日本選手権、フリーの演技をする松生。「実は全日本が終わったら、本気でスケートを辞めようと思っていた」

22年全日本選手権、フリーの演技をする松生。「実は全日本が終わったら、本気でスケートを辞めようと思っていた」

戻らない感覚、ほおを伝う涙

2022年12月。寒さが厳しさを増す師走。

この冬も全日本選手権が迫ってきた。

松生理乃は行く末を案じていた。

跳べていたはずのジャンプの感覚が一向に戻らない。そのたびに涙がほおを伝った。

スケートを続けていくことで手にするもの。スケートを続けていくことですり減らされていくもの。

その2つを心の天秤(てんびん)にかけた時、秤(はかり)は一方へと沈んでいった。

重い決断を下そうとしていた。

「実は全日本が終わったら、本気でスケートを辞めようと思っていて。もういいって思っていました」

全日本選手権を最後に、スケートを辞める。家族にだけはそう伝えていた。

21年のNHK杯フリーの演技。3週間前に右足首を捻挫していた

21年のNHK杯フリーの演技。3週間前に右足首を捻挫していた

21年NHK杯前の捻挫 狂い始めた歯車

その1年前。北京オリンピック(五輪)シーズンの2021年10月。

11月12日開幕のグランプリ(GP)シリーズのNHK杯は、約3週間後に迫っていた。

本番へ向けた猛練習中でのフリップジャンプ。踏み切った時に右足首をひねった。捻挫だった。

立ち上がれないほどではない。時間をかけて治せば回復が見込める。分かってはいたが、近づく試合を前に、休むことができなかった。

「その前はそこまで意識していなくても、集中さえしていればジャンプは跳べたんですけど。でも、ケガしてからは体の重さが変わったわけではないのに、全く浮かなくなって。跳べていたジャンプもことごとく跳べなくなって」

万全ではない状態での練習は、体に染み込ませていたはずの感覚を狂わせた。

「試合での安心材料をつくれないというのは、すごくきつかったです」

そのまま迎えたNHK杯。

ショートプログラム(SP)7位と出遅れると、後半3本のコンビネーションジャンプを取りやめた構成で臨んだフリーも5位にとどまった。

そのフリー「月光」は、3日ほど前から通し練習をしていなかった。いわば「ぶっつけ本番」。不安なままに臨んだ試合は、総合6位に終わった。

ただ、その時はまだ下を向くことはなかった。

「最後まで滑り切れていて、跳べるジャンプもちゃんと跳んで。自分の精いっぱいはできていたので」

本当に辛かったのは、そこからだった。

初めての感情「ちょっと休みたい」

11月下旬には、GPシリーズ最終戦のロシア杯にも出場したが、総合8位となった。

右足首を痛めてから、練習が本番へと結びつかない。堪(こた)えるものがあった。

「今までは練習をすれば上達して、試合でも良い結果も出せてはいたので、辛くても続けてこれて、楽しいなって思えていたんですけど。でも、その時は練習もできないし、練習を続けても全く良くなる気配がなくて。さすがにちょっときつくて。それがどんどん積み重なっていったので、精神的にも辛くなって、どうしたらいいのか分からなくなって」

初めての感情も抱いた。

「ちょっと休みたいなって思っていました」

ただ、内なる思いに身を委ねる選択は、自分が許さなかった。

ロシア杯から帰国した後。新型コロナウイルスの影響のため、大阪・関空アイスアリーナとホテルとを往復する隔離期間も、フリーをミスなく滑りきるまで練習を続けていた。

「ほんとによくやるね」

同じく、隔離期間を過ごしていた田中刑事や友野一希から、感心の声をかけられるほどだった。

必死に安心材料をつくった。休むことなく駆け抜け、年末の全日本選手権へ。そこで予期せぬ失敗に見舞われた。

21年の全日本選手権フリー、最初のジャンプをミスし「集中が切れちゃったんです」。総合7位に沈み五輪は消えた

21年の全日本選手権フリー、最初のジャンプをミスし「集中が切れちゃったんです」。総合7位に沈み五輪は消えた

北京五輪最終選考 打ち砕かれたフリー

北京五輪の最終選考を兼ねた大一番が、クリスマスの夜に開かれていた。

SPでは、表彰台圏内まで1・96点差の6位につけた。「五輪に出られるかもしれない」という期待が、心の片隅で膨らんでいた。

そのフリーの冒頭だった。

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岐阜県不破郡垂井町出身。2022年4月入社。同年夏の高校野球取材では西東京を担当。同年10月からスポーツ部(野球以外の担当)所属。
中学時代は軟式野球部で“ショート”を守ったが、高校では演劇部という異色の経歴。大学時代に結成したカーリングチームでは“セカンド”を務めるも、ドローショットに難がある。