Jリーグは今年で30周年。発足時から「地域密着」を理念に掲げ、社会貢献活動とともに発展してきた。とりわけ地域の課題に「ロック魂」で真っ正面から向き合ってきたクラブがある。J3のYSCC横浜だ。
■山谷、釜ケ崎と並ぶ労働者の街
拠点を置く中区には「日雇い労働者の街」と呼ばれた寿町がある。東京・山谷、大阪・釜ケ崎と並ぶ日本3大「ドヤ街」。ドヤとは立ち並ぶ簡易宿泊所の宿(やど)を逆読みしたもの。高度成長期の1960年代に多くの宿泊所が建設され、発展してきた。
今は65歳以上の単身の生活保護受給者が多く暮らし、アルコール依存症など精神障害からの回復施設や、知的・身体障がい者の作業所がそろう。クラブは、横浜市寿町健康福祉交流センターと連携し、健康指導や体操教室などを開き、地域を支援している。
12月8日、寿町近くの公園でウオーキングサッカーの「2023COPA Kotobuki(コパ・コトブキ)」の最終節が行われた。4年前から始まった大会で、健康プログラムの一環。今年も10月下旬から4週にわたり施設別に6チーム、約80人が出場した。
これにクラブからは吉野次郎社長(58)らスタッフのほか、DF西山峻太、FWピーダーセン世穏も参加した。
■老若男女がウオーキングサッカー
ウオーキングの名前の通り歩きながら1つのボールを追う。老若男女が一緒になり、好プレーには笑顔が輝き、歓声が上がった。多種多様な人がピッチに立つ、障壁のない「インクルーシブ社会」をグラウンドで実践している。
「最下位の6位だよ。でも来年はこれ以上下がることはないから、だって」。傍らから高齢男性が笑顔でそう声をかけてきた。
そんな参加者たちの姿をうれしそうに見つめる吉野社長は「参加している人の顔つき、動きも変わっている。その充実度が表情に出ているだけでも大きな成功」と口にする。
■「恩返し、本来やるべきこと」
1986年(昭61)3月に創設して37年。街とともにクラブも成長した。
「僕らのクラブというのは街に許可を得て活動できていると思っているので、社会とのつながりとか、課題にスポーツでアプローチするのは必然というか、意義というか。恩返しの延長にある。これは僕らの本来やるべきことだと思っています」
トップチームの選手たちもクラブが催す様々なイベントに参加することで、変化が出ている。
「ある選手と話したら、寿町とか、ほかの地区でやっているイベントのこととか、関われば関わるほど愛着が生まれてきている。地域社会とつながることが非日常的なプロスポーツ世界にあって、日常生活の中で人が苦しみ、その苦しみをどう乗り越えて輝いてという、そういう場にいることに充実感を覚える選手がいる。それはありがたいなと思いますね」
■「同じ中区の仲間じゃないか」
また、寿町が抱える課題に対し、様々な活動を行っているのが横浜市寿町健康福祉交流センターだ。その管理課業務班の出口淳一さん、工藤健さんもYSCCとの連携には手ごたえを感じている。
「吉野さんが地域に根付くという思いを持ち、寿も同じ地域、同じ中区の仲間じゃないか。どんどん取り組もうよということでやらせてもらっています。みなさんとても協力的でコーチの方や、最近は選手の方もどんどん来るようになって、いい取り組みができていると思います」
本来なら行政が率先すべきところを一サッカークラブが手弁当で行っている。14年のJ3元年からJクラブの一員となって10年。60あるJクラブの中で最小規模、年間運営費は2億円ほどだが、地域への貢献度ならどこにも負けていない。次なる10年へ、その歩みを止めない。
■この先に向け「新たな始まり」
社会活動にアプローチするNPO法人理事長としての顔も持つ吉野社長は、こう口にした。
「今日(12月8日)はジョン・レノンの命日、だからスターティング・オーバーです」
大好きなロック音楽、1980年に40歳の若さで不慮の死を迎えたレジェンドになぞらえ、「新たな始まり」を誓った。
ロックとは「揺るがない強い意志」。本牧生まれで小学生時代からキャロル、ビートルズの洗礼を受け、友人のお母さんから「吉野君と遊んだら不良になると言われた」と笑う。若い時はリーゼントに革ジャンを好んだようだ。
生まれ育った地元への愛とともに、揺るぎない強い信念がある。
サッカーを通じて地域を明るくしたい-。【佐藤隆志】









