日本代表の森保一監督(53)が偉業を成し遂げた。チームの立ち上げから交代せず、予選を突破してW杯まで導いたのは、日本人監督としては史上初。一時は進退問題も噴出するほどの批判にさらされたが、不動の心で求心力を高めて突き進み、カタールへの切符をつかんだ。

【W杯予選】日本代表カタール切符!宿敵オーストラリア破り7大会連続7度目/ライブ詳細>>

紡いだ言葉はまさしく本気だった。引き分けOKの一戦で、0-0の後半39分にMF三笘を投入。あくまで攻めた。「W杯を自分たちの手でつかむ。仕掛けていく」。過去に敵地で勝ったことがないオーストラリアを破ってこそのW杯。ここぞで勝負師の一面を見せた。

昨夏の東京五輪後、約1週間、携帯電話にもあまり出ず、人との接触を絶った。メダルを争う激闘を終え、誰とも接しない時間。今後すぐ9月には、さらに重圧がのしかかるA代表の最終予選が待つ。7日間だけのオフで、ふたたびエンジンをかけた。しかし、厳しい道のりが待っていた。

「本当、苦しい試合ばかりでした」。初戦でオマーンに負け、10月に敵地でサウジアラビアに負け、ここまで5連勝していてもずっと崖っぷちに立っている気持ちだった。最終予選中はもちろん、ここ数年、「解任」とのサポーターの声は根強かった。「日本がよくなるためなら、いつ代えられてもかまわない」。就任当初から持っていた覚悟を、日本協会にも伝えていた。

自分自身は何を言われようが受け入れる。だが、仲間が傷つけられたら穏やかな表情は一変する性格。少年サッカーの時代、チームメートが理不尽なファウルにあったら自分が削り返した。そんな男気に信頼が集まった。

「支えがあっての私」。そう繰り返してきた。招集した選手がけがをすれば、クラブに謝罪。欧州視察の際には、すきまの時間でドイツからベルギーのシントトロイデンまで、練習がオフにもかかわらず招集のお礼を伝えるために訪れた。代表活動後は試合直後から明け方にかけて各国クラブへ戻る選手全員を、ロビーで見送り、「ありがとう」と声をかける。そんな指揮官に、選手もついてきた。

93年に選手としてドーハの悲劇を味わったカタールの地に向かう。「世界で勝つことを目標にしながら、アジアでも勝っていく」。たとえ最終予選で苦しむことになっても、W杯でベスト8に入るためのチームを目指した。「本当にあっという間だった」と話す就任からの約3年半。積み上げたすべてをぶつける舞台へ、日本代表のトップとして向かう。【岡崎悠利】

<森保監督と主な一問一答>

-三笘、原口の投入は

森保監督 試合の流れとかは選手の疲労具合を見て交代のカードを用意しようと思っていた。采配として当たったと言ってくださる方にはありがたく思うが、選手が戦ってくれ、準備してくれた結果が2-0の勝利だと思う。

-三笘の状態は

森保監督 彼の直近の試合(18日オーステンデ戦)は後半から出て十分、代表の試合に入れるというパフォーマンスを確認した。使い方はこちらに集まってきてコンディションを見た。

-試合展開は

森保監督 勝利を目指して戦った上で考えた結果の選手交代であったり、采配。勝ちを目指すことで最後、得点に至らなければ、引き分けで終わるのはそれはそれで現実的だと考えていた。