J2アルビレックス新潟のDF早川史哉(25)が29日、新潟市の小新中で講演会を行った。「『なりたい自分に向かって』~夢を持ち挑戦することの大切さ~」と題し、16年4月に発病した急性白血病の闘病生活や、サッカーを通じて得た体験を全校生徒327人に話した。

現在は体調も良好で、1日も早い試合復帰を目指す意欲も見せた。

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早川は、中学生の真剣なまなざしに笑顔で向き合い、やわらかな口調で話した。新潟の下部組織でサッカーに取り組み、筑波大を経て、新潟に入団し、16年プロデビュー。その直後に待っていた急性白血病との闘い。凝縮された経験の一端を言葉にした。

中学生の関心事でもある進路選択で進学校ではなく、新潟ユース(現新潟U-18)でサッカーに専念することを決めた。

「単純にサッカーが好きで、サッカーを仕事にしたいと思いました。仲間と協力して勝利に向かうこと、目標の達成感がサッカーの魅力。困難にぶつかっても、それを乗り越えたときの楽しさをサッカーで見つけました」

壁を乗り越える姿はプロデビューとなった16年湘南との開幕戦(2-1の勝利)でも披露した。身長170センチと小柄ながらセンターバックでフル出場した。

「アルビのユニホームを着て、プロとして勝利に貢献をすることが夢だったのでプロデビュー戦は素直にうれしかった。(小柄という)ハンディはハンディとして受け入れるしかないです。自分の能力で、高さに対応するにはどうしたらいいか、予測して速く動いたり、相手の体に体をぶつけて自由にプレーをさせなかったり。持っている能力の中で何ができるかを考えました」

目標を設定してクリアしていく姿は急性白血病との闘いでも表れていた。16年4月に発病。入院治療を続け、今年1月に再契約を果たした。前向きさが復帰の根底にあった。

「検査で白血病と聞いたときはホッとしました。それまで自分の体に何がおきているか分からない恐怖心がありましたから。もしかしたら亡くなるかもしれない、とも思いました。でも、それまでも人生を一生懸命生きてきたから悔いはなかった。同時に、もう1度しっかり、サッカーをやりたいと強く思いました」

5日のJ3長野との練習試合で復帰後初めて90分間フル出場を果たした。

「プロデビュー戦を10としたら、今は7か8くらいまで仕上がっています。ベンチ入り、試合出場は本格的に視野に入っています。チームは3連敗中ですが、僕が練習から一生懸命取り組む姿を見せることが、チームの力になればいい」

本当の復活は試合のピッチで勝利に貢献すること。その日が近づきつつある自信が、この日の講演の土台にあった。【斎藤慎一郎】

◆早川史哉(はやかわ・ふみや)1994年(平6)1月12日生まれ、新潟市出身。小針中では新潟ジュニアユース、開志学園では新潟ユースに所属。U-15から各年代の日本代表に選出された。11年U-17W杯では5試合で3得点をマークし、8強入りに貢献。筑波大では主将を務めた。16年新潟に入団。170センチ、68キロ。背番号28。

<早川の闘病経過>

16年2月のJ1開幕戦・湘南ベルマーレ戦にスタメン出場した早川は、その後体調不良を訴え始める。4月の名古屋戦後にリンパ節の腫れが確認され、精密検査の結果、急性白血病と診断された。本格的な治療に入り、11月に骨髄移植手術を受けた。17年1月、治療に専念するため練習を開始できる時期まで選手契約を一時凍結した。

18年に入ると体調回復が顕著に。4月から下部組織の新潟U-18の練習に参加し始めた。7月には新潟の元主将、本間勲(現スクールコーチ)の引退試合に出場した。8月にはトップチームの練習に合流、10月には練習試合に出場できるまでになった。11月12日にクラブは契約凍結解除を発表。19年1月、新潟は早川との契約を更新した。