新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。

生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。第3回は久保建英。

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15歳であることを忘れるような目、まさに鬼気迫る表情だった。17年5月、U-20(20歳以下)W杯韓国大会。日本代表は決勝トーナメント1回戦で、延長戦の末に同ベネズエラ代表に敗れた。試合終了の笛が鳴ると、選手たちはひざまずき、天を仰ぐ。そんな中、最年少だった久保建英だけは、腰に手を当てたまま微動だにしなかった。

後半途中から出場も、延長後半に決勝点を奪われた。わずかにうつむきながらも、にらむような視線は輪になって喜ぶ相手を捉えて離さなかった。目を背けたいものを、あえて脳裏に焼き付けているようだった。

「結果、負けた」。ノートを見返すと、試合後に発した一言目はこう記されている。中学3年の年齢で、最年長で大学2年の年代と渡り合った。年齢差や体格差を問われるたびに「ピッチに立てば関係ない」と答え続けた。言葉にするのは簡単だが、いざ現実を見れば厳しいハンデがあった-。そんな印象を抱いた。

ただ誰よりも久保が、覚悟を決めていた。「本当にふがいない」。ピッチで見せたまなざしを見る限り、年下である自分への妥協はなかった。「こういう思いはこれから先何度もあると思うけど、できたらこれを最後にしたい」。そう言って韓国をあとにした。

16年のJ3での史上最年少デビューから、昨年のA代表デビュー、南米選手権、レアル・マドリードの一員として参加した北米ツアーと、久保を見た。感情をあらわにした瞬間は、韓国以来、見ていない。

久保は過ぎたことについては語らない。「あのときの悔しさがあったから」という、耳にしがちな言葉はまず発しない。むしろ「負けた試合で今に生きているというものはない」と口にしたことがある。ひょうひょうとした顔つきからは想像できないほどの負けず嫌いで、かつ前向きだ。

14歳だった15年にバルセロナから帰国して天才と騒がれ、「自分はまだ何もしていない」と注目に戸惑っていた少年は、過去に例を見ない勢いでキャリアを駆け上がった。感情をあらわにしたベネズエラに負けた瞬間は、サッカー人生の中の一瞬でしかないかもしれない。ただ、初めてA代表のピッチに立った瞬間やRマドリードのユニホームを着てプレーしたシーンよりも、韓国での約10秒間の静寂が脳裏から離れない。

18歳の若武者がいま、立ち止まって過去を振り返る必要はない。10年後に25歳になったとき、はたまた現役を引退するとき-。15歳の目で見た光景のことを、あらためてたずねてみたい。【岡崎悠利】