元ガンバ大阪DFで主将も務めた木場昌雄さん(45)が、MF遠藤保仁(40)のJ1最多出場の単独記録更新に喜びのコメントを寄せた。木場さんはJリーグ元年の93年から04年までG大阪に在籍し、うち01年から4年間は遠藤とともにプレーした。

「ヤット、新記録達成おめでとう。一緒にプレーしたのは短かったけど、ガンバの歴史をつくってきた選手だし、これからもレジェンドとしてクラブの発展のために頑張ってください」

遠藤は01年に京都サンガから移籍してきた。木場さんは同年、主将に就任する節目のシーズンの始まりだった。03年には当時の西野朗監督が、遠藤を副主将として木場さんのサポート役を命じた。

木場さんは、当時の遠藤を「マイペースで自分のプレーに集中することが、チームのためになるという考えだったと思う。西野さんもヤットに責任感を持たすために副主将を任せたはず。年齢的にはまだまだ若かったので、プレーで引っ張る感じだった」と振り返る。

口数の多くない遠藤だが、木場さんには印象に残る試合がある。西野監督の就任1年目の02年8月3日、第1ステージ終盤のジュビロ磐田との優勝を争う大一番だった。G大阪らしい激しい打ち合いを演じ、2-2で迎えた後半25分、遠藤が勝ち越しゴールを奪った。さらに同31分、味方の追加点で磐田を4-2と突き放した。木場さんはセンターバック、遠藤はブラジル人のファビーニョとダブルボランチで出場していた。みんな興奮状態だった。

「ヤットが試合中、初めて僕らにメンタル的な言葉をかけてくれたんです。確か、試合終了間際に『ここだぞ』という感じの内容だった。いつもひょうひょうとやっていたヤットも、スイッチが入ったんやと感じたのを覚えています」

結果的に延長Vゴール負けを喫し、いろんな意味で忘れられない試合になった。04年限りでG大阪を退団した木場さんはその後、外から見て、遠藤の言動が変わり始めたと感じていた。

「日本代表に選ばれ、オシム監督と出会って、考え方とかいろいろ刺激を受けたと思う。個人にフォーカスしていたが、チーム全体のことを気にするようになった。たんに年齢重ねるだけでなく、人との出会いで変わっていったと思います」

遠藤は13年から6年間、異例の長さで主将を務めた。木場さんらとの時代を経て、自分なりの主将像を描いていったようだ。

木場さんは現在、主にタイなど東南アジアの選手を育成する「一般社団法人ジャパン・ドリーム・フットボール・アソシエーション(JDFA)」の代表を務める。G大阪OB会副会長も務め、1人のOBとしても遠藤らに声援を送り続けている。

新型コロナウイルスの影響で、メインで仕事をしているタイへの渡航が当面、自由にできない。そのため木場さんは今、JDFA活動の一環として「タイやアジアのサッカーについて日本人がどう思っているか」などの視点で、ユーチューブチャンネルで発信を始めている。【横田和幸】