高校サッカーの歴史を彩ってきたのが、応援マネジャーの存在だ。05年の初代は元女優の堀北真希さん。同年10月クールの日本テレビ系ドラマ「野ブタ。をプロデュース」に出演していたことが、起用のきっかけのひとつだった。候補は他にもいたと、選手権プロデューサーを務めた同局の佐々木豊氏(55)は明かす。

佐々木氏 一緒に番組を作ってほしいので、ある程度撮影時間が必要でした。堀北さんはドラマを撮り終える時期で、スケジュールを押さえられました。「運動に興味がない」と言われたけど、「全然いい。あなたの言葉で伝えてほしい」とお願いしました。2代目の新垣結衣さんは「あの仕事なら」と一発OK。1人目がなければ、次はありませんでした。

もともと、応援マネジャーはある企画ありきで生まれた。「大迫、半端ないって」という名言を広めたことでも知られる、敗れた学校に密着した「涙のロッカールーム」だ。スポーツニュース内の1つのコーナーでしかなかったが、佐々木氏はプロデューサーに就任すると、この企画を番組のメインに据えた。説得力をもって映像を伝えるには、現役女子高生女優が適任-。それが応援マネジャーの役割だった。

番組のVTR導入ナレーションが主な仕事だったが、直接選手を取材することもあった。2代目の新垣は、静岡学園へ向かう新幹線の中で、毛布にくるまってテスト勉強をしていたという。取材する側も、される側も高校生。彼女たちにしか伝えられない、選手の魅力があった。

競技性より“青春”にスポットを当てた番組作りの背景には、サッカーに打ち込んできた佐々木氏自身の経験がある。中学時代全国2位になり、鳴り物入りで名門湘南に入学したが、3年時の選手権は県大会で早々に敗退。自らの“最後のロッカールーム”は、今も夢に出てくるという。

佐々木氏 監督に「お前らの育て方を間違えた」と言われました。厳しく練習させればよかった、ということでしょう。その言葉が頭から離れなくて、プロデューサーになったとき、これしかないと思いました。

誰にも、忘れられない青春の記憶がある。甘かったり、苦かったり、しょっぱかったり…。応援マネジャーは共感をもたらす、等身大の“青春”の代弁者だ。【杉山理紗】(つづく)

【写真特集】第17代は茅島みずき 歴代応援マネ一覧

前回大会で応援マネジャーを務めた、女優でフィギュアスケーターの本田望結(17=青森山田2年)が、出場選手への応援メッセージを寄せた。記した言葉は「やりきる」。先代マネとして、また出場校の在学生として、思いを語った。

 

父がサッカーをやっていたので、応援マネジャーは父と私の暗黙の目標でした。就任が決まったときも泣いたけど、決勝戦の後にも泣きました。勝者のためには敗者が必要なんだと深く感じた大会で、スポーツをしているから分かる選手の悔しさ、それまでの過程を思うと、あの経験は一言で表せない、人生の大きなターニングポイントでした。

青森山田の松木玖生選手とは、校長室でお会いしました。本当に同年代かと思うくらいの迫力があって、オーラが半端なかったのを覚えています。態度や言葉遣い、全てが完璧で、王者の風格を目の当たりにして震えましたね。サッカー部全体がそうだし、学校に行くだけでもモチベーションが上がります。

(今大会は)自宅のある京都の代表も応援したいし、本当に全校なんですよね。全ての選手に物語があると思うと、無理なお願いだけど、みんなに勝ってほしい。青森山田をはじめ、みなさんが「やりきった」と思ってくださる大会が見られたらいいなと思います。